安茂里小学校について

安茂里小学校は2009年には、創立120周年をむかえました。長野市郊外の住宅地に位置し、山や川や多くの自然に囲まれています。

学校教育目標 めざす児童の姿

「共に伸びる杏っ子」

赤心館

赤心館は昭和7年に建てられた校舎です。赤尾善治郎氏(*)より多額の寄付を受け建築されました。今でも、職員室、図書館などに使われています。
赤尾 善治郎 (寿像台の碑文(竹馬の友 鈴木梅四郎氏の撰文  寿像台は安茂里小学校の敷地内にある)より)
 赤尾善治郎君は信州が生める日本貿易協会の成功者である。 小学校時代より大志あり。 帝都に雄飛の念やまず、明治十七年決意上京、二松学舎に入学、 年余、又、工藤英語学校に学び、 同十九年一月荘心空挙を以て米国に渡航し、苦心勉励の後紐育森村組に入り、 精励数年明治二十三年、遂に独立して花むしろの貿易業を開く。 明治二十四年一旦帰朝して神戸港に本店、紐育に支店を設け、 爾来、夏に帰りて仕入れ、冬に渡米して販売すること四十有余年、 即ち、太平洋の往復八十八回に及び、今や卓然斯業第一流の位置を占有す。
 君に貴ぶ所は富の蓄積にあらず、終始一貫、克く業に倦まず、内、産業の振興に資し、 外、国産の販路を開拓したる不断の努力、是である。
 日本産業協会総裁伏見宮殿下より、特に感状を賜はりしも、偶然で無いのである。 君資性、公共に尽くすの念深く寄付金の高も少額ではない。 昭和七年郷里小学母校の為に巨額を投じて大校舎を新築して寄付す。 時恰も大不況の折柄とて郷人に特に君の特を頒して建像の挙あり。 不肖、親友の故を以て喜んでここにその略歴を記し、後世、青年の亀鑑とする。
 君、藤右衛門、むめの両君を親とし、善太郎を兄とす。 父兄に対する孝悌の道到らざる所無きの一点、特記すべきである。
         (昭和七年十一月  前衆議院議員勲三等 鈴木梅四郎 撰文)