【5月2日】 遠足 千曲市森将軍塚古墳へ

  5月2日    森将軍塚古墳 
 今日は、5年生と6年生で千曲市の森将軍塚古墳に行きました☆着いたら古墳に登りました。階段 の高さが高くて登るのが大変だったけど、そんなに遠くなかったのでよかったです。階段がたくさんあったのでとっても疲れました。 だけど、古墳に着いたらながめがよかったです。なんとなく、王様の気持ちがわかったような気がしました。私も、あんなながめの良い所にお墓があればいいなぁ〜と思いました(笑)古墳には、『はにわ』がたくさんありました。けっこう大きかったです(☆0☆) あんな高い所に、お墓を造るのは大変だと思うから、スゴいなぁ〜 と思いました★
  たて穴式住居 
 お昼を食べた後に、たて穴式住居に入りました。電気が無いからとっても暗かったです。昔のはあんなに暗い所で生活していた事 がわかってびっくりしました!!
今日、森将軍塚古墳に行きました。森将軍塚古墳は山の上にあって、古墳に行くには山の上まで登 らなくてはなりません。でも階段が急で結構大変でした。おまけにこの階段は段が高くてその分体力を持って行かれました・・・。  頂上に着くと周りにも小さな古墳があってその古墳は森将軍塚古墳に眠っている人に関わりのあった人だそうです。古墳に眠っている人は、『豪族』と呼ばれるその場所を治めていた地位の高い人です。  どうしてあんな山の上に古墳を造ったのかというと『自分が治めた場所が見わたせるように』『力が強かったことが分かるように』などの理由があると考えられています。古墳には、『豪族』と共に剣や鏡などの宝物が入っていましたが、持って行かれてしまった物もあるそうです。
 『豪族』が眠っている『石室』は壁(石)が真っ赤に塗られていて石が斜めにつまれています。斜めにならべると、石が崩れにくいのだそうです。昔の人の知恵だなぁと思いました。  森将軍塚古墳に行ってみて古墳のこともよく分かったし、いい歴史の勉強になってよかったです。
 私達は、5年生と一緒に、遠足で森将軍塚古墳に行きました。バスに1時間くらいのっていました。着いて早速森将軍塚古墳を目指して山を登っていきました。 駐車場から約1q歩きました。そのときは、とても暑かったのでその分余計につかれました。やっとの思いで森将軍塚古墳に着きました。私達はどの学校よりも、早く、一番乗りでした☆森将軍塚古墳は、想像以上に高くて森将軍塚古墳からの景色は、とってもきれいでした。みんなと、石室のあった上に乗ってねっころがったり、思いっきり大きな声で、「や っほ〜〜〜!!!」と、言ってみたりしました。森将軍塚古墳の大 きさは、たて、100メートル、よこ、50メートルで、形は鍵穴みたいです。この形を前方後円墳というそうです。森将軍塚古墳の 周りには、はにわがたくさんありました。森将軍塚古墳から、見た景色は、とてもいい景色でした。 仲良し5人組で、とてもいい景色といっしょに、写真を撮ってもらいました☆(^O^)うれしかったです!森将軍塚古墳から少しはなれたところに2号墳、3号墳と、森将軍塚古墳の中に入っていた人の家族と思われる人たちの、古墳がいくつかありました。私はどうしてこんな高いところにお墓を造ったか。自分が感じるのは、死んでしまった後も自分が治めていたところを見たいから私はこんな高いところにお墓を造ってもらったのだと思います。森将軍塚古墳からもどった後古墳館に行きました。古墳館の中では、森将軍塚古墳の石室を再現したのを横から見ました。横から見ると石室はくずれないように台形の形に造ってありました。  お昼を終えて、少し遊んだ後、 歴史館の中に入りました。そこでは、宮下健二先生に案内してもらいました。歴史館は、縄文時代から、だんだんもとの時代にもどってくるようになっていました。昔の学校の教室にみたてたところで、授業のまねっこをしました。 楽しかったです。  森将軍塚古墳にいって、昔の事がたくさん知れて良かったです。
 今日、五年生と森将軍塚古墳に行きました。バスに乗って、一時間たってやって見えてきました。歩いて森将軍塚古墳へ登りまた。
 森将軍塚古墳まで一キロもありました。着いたらみんなすごいつかれていました。石室があった所をうめて形をコンクリートで、型どった所に六年生の男子四人がね転んでも、あと二人入れそうでし た。森将軍塚古墳の形は、鍵穴みたいでした。それを、前方後円墳というそうです。なぜ、こんな高い所に墓を作ったか。僕は、自分が治めていた所が見えるようにだと思いました。





森将軍塚古墳に行きました。古墳は大きくてびっくりしました。 100mあるようです。その日本最大級の石室があったところに男子4人でねてみました。余裕でみんなはいりました。ぜいたくなお墓だなぁと思いました。
 こんなにも大きなお墓を作ってもらえる将軍よほど力があったのだと思います。古墳を高い所に作ったのは目立つように、将軍が死 んでも自分の治めていた土地を見わたせるようにということだそうです。