芦ノ尻道祖神

長野市大岡地区(旧大岡村)の芦ノ尻道祖神は、松の内が終わる1月7日、各戸注連下ろしとともに行なわれる祭りである。芦ノ尻集落の家々が、注連下ろしをしてそれを束ね、集落の南200mの道祖神場へそれを運び集めることから祭りは始まる。古くは1月15日であったが、昭和の初期に松の内が長すぎるとの理由で7日となったようである。そればかりでなく、もとは、15歳以上の未婚の男子によって行なわれる若衆仲間入りの祭事でもあった。近年過疎化の波は例外なく押し寄せ、祭りの原形は大分そこなわれてきたが、元気な男子はこぞって参加し、祭りの伝承に情熱を傾けている。

祭りは、「神面装飾祭」と呼ばれるように、各戸から集まった注連縄を選択し、それをもって、1.5mほどの文字碑の道祖神の石碑に怪異な神面を飾りつけ、来年の1月7日間での一年間、悪霊や疫病より集落を守る守護神とする祭りである。

祭りは、(1)神面の装着、(2)どんど焼き、(3)ほんびき、(4)厄落としと餅焼き、 の4構造をなしている。(1)と(2)の準備は午後2時ごろから開始される。神面の装着は、一年間の守護をはたして下さった古い神面への感謝の拝礼の後、道祖神碑から取り外すことから始まる。古い神面はただちに焼かれ、新しい神面は、集まった注連の中から適当なものを選択し、口、鼻、まゆ毛、口ひげ、あごひげ、笠(かんむり)の順に装着していく。適当な注連がない場合には、その場ですぐに注連縄をほどいて作られる。同様にして注連でお神酒樽三つ重ねの酒杯、肴(鯛)、もつくられ供えられる。

一方、同時にどんど焼きの準備も進行する。三方へ散り、それぞれの方向からどんど焼きの心柱となる松・栗・楢の3本の生木伐採の上搬入される。3本の心柱を組み上げ、青竹や余った注連、松、お札、だるま、書き初めなどによってどんど焼きが盛大に作り上げられる。昔は大小2つつくり、小さい方をむかえ火かみせ火と呼んで、いよいよどんど焼きに火を入れるときの合図に焼いたものだという。

また、ごぼう注連を下げた注連縄で道切りをする。この道租神場は、かつて芦ノ尻、笹久、御陵清水への分去れであった。

諸準備が整うと、一同で清掃を行なう。御馳走(煮しめのお重)やお神酒が供えられて、一同の拝礼が行なわれる。装着し終わった道租神の前で、直会がすぐ始まる。まさに神と飲食を共にするのである。このお神酒は、かつては15歳になり若衆仲間に入ったものがあげるものであったといわれる。直会が終わって、いったん解散となる。迎え火が焚かれるのが6時ごろというのである。

どんど焼きの火入れは、かつて三人の新婚さんであったものが、今は祭典係が行ない、盛大などんど焼きが行なわれる。このあと古くは、若衆はお目当ての娘の家におしかけ、ほんびきという遊びをした。くじをつくってみかんやじまめを引いて、負けたものは唄を唄い、勝ったものは目的を達したのがほんびきであったらしい。これも昭和の初期をもって行なわれなくなったという。

翌朝、厄年の者は誰よりも早く道祖神場へ輪切りにした大根人参を年の数だけ密かに、後ろを振り向かずに道々落としていく。昔は穴あき銭たったと言う。ほかの皆も残り火で餅を焼いて家中で食べる。無病息災の祈願なのである。

長野オリンッピックに先立ち、平成9年8月長野県無形文化財に指定された。