自分を大切にしよう。自分を大切にすることは人をも大切にすることである。そしてかけがえのない人生を正しく生きぬく生徒になろう。
◇ 自分の目標を持ち、その実現に向かって努力する生徒になろう。
◇ 自ら考えて行動するとともに、自分の良さを伸ばす生徒になろう。
◇ 美しいものを美しいと感じる高尚な心を持つ生徒になろう。
◇ ひとのいたみがわかり、他を思いやる心を持つ生徒になろう。
校名の「三陽」の「三」は、三小学校の結集を表す三であると伝えられていますが、創設当時の先輩たちは、この三陽の「三」に教育的な意味を持たせ、「真」・「善」・「美」につながる三であり、「知」・「情」・「意」につながる三であるとし、また、「三陽」の「陽」は、光であり、希望であり、理想であるとして、三陽教育の根幹的な願いをここにかけて、誠意、研鑽努力を重ねてきました。 創設当時、学校周辺の広大な田園には、あの可憐な「れんげ草」が一面に咲き乱れておりました。三陽の先輩は、そのれんげ草に教育的な願いを託して、「れんげ精神」の高揚を奨励してきましたが、これが三陽の伝統になって、今日も脈々と流れてきております。
『踏まれても 踏まれるごとにさらに深く根をはり、
命のある限り生きぬいて 春再び来たりなば
あの可憐な花をつける やさしくうるわしく
しかも 強いれんげ草』
そのれんげ草の姿こそ三陽の象徴であり、「たくましく生き抜く」学校目標と一体となり、伝統的な精神となってきています。そして、開校以来、質実剛健の気風と、いかなる逆境に遭遇しようとも、強靱にたくましく生き抜く力を培うことの校風と伝統を築き上げ、教育こそ第一義とする地域の教育風土と相まって、その成果を上げてきています。

| ※全校21学級(内特別支援学級2) | ||||||||
| 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 7組 | 合計 | |
| 1年 | 35 | 34 | 35 | 35 | 36 | 35 | 36 | 246 |
| 2年 | 34 | 34 | 35 | 34 | 34 | 34 | 205 | |
| 3年 | 36 | 37 | 36 | 37 | 37 | 37 | 220 | |
| 全校計 | 671 | |||||||
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三陽中学校の校庭に立って周囲を見渡すと、大自然の美しさが感じられます。北から東に は上信越県境の山並みを仰ぎ、中でも北東に高社山、北に飯綱山が聳えています。そして西 には千古の雪をいただいて連なる秀峰アルプスを望むことができます。本校創設当時、学校 周辺は豊かな田園地帯であり、これまで都市化の影響を受けることのない極めて閑静な地で、 学校環境としては好適な立地条件に恵まれていました。しかし、昭和55年11月、土地区 画整理事業が進められて以来、住宅が次々と建築され、企業も進出して都市化現象が急速に 進んで、現在は市街化地域となりつつあります。また、高速道路が開通されて、校区内を通 るアクセス道路の交通量が激しくなり、校区内の環境が変貌しました。
平成3年4月、大豆島地区が分離し、平成4年4月からは緑ヶ丘小学校が開校され古牧・緑ヶ丘・朝陽の三小学校が通学区となりました。それらにともない、一時は千人を超す生 徒数も、平成24年4月1日現在、670名ほどになっています。(各学年の人数は以下の通りです)
★★学校目標「たくましく生きぬく生徒」
と「れんげ精神」★★
★★★★校歌について★★★★
作曲家 平井康三郎(ひらい こうざぶろう)
作曲家。本名保喜(やすき)、明治43年高知県生まれ。東京音楽学校卒。昭和22年まで同校作曲科教授。
第5回音楽コンクール1位入賞。文部省教科書委員、関東合唱連盟理事。NHK嘱託などを歴任する。
作品には交声曲「大いなるかな」「大仏開眼」など、歌曲に「平城山(なちやま)」「九十九里浜」
「ゆりかご」など、合唱曲に「ひばり」「合唱讃歌」など名作が多く、著書には「作曲指導」「合唱編曲ノート」
「平井康三郎名歌曲集」教則本「楽しいオルガン」などがある。
作詞家 勝 承夫(かつ よしお)
詩人。明治35年東京都生。東洋大学卒。旧報知新聞社会部学芸部副部長などを経て東洋大学理事長、
常任理事などを歴任した。なお、戦後は文部省教科書委員として新しい音楽教育に力を尽くしてきた。
作品は教科書にのるもの多く、校歌・市歌などの作詞も、また、すこぶる多い。
著書には、詩集に「航路」「白い馬」、随筆集に「若き日の夢」「文章の技術」などが多ある。
★★★校章について★★★
★★★★★校名の由来について★★★★★