校長講話

平成28年6月22日
この写真は、3年のお友だちが水やりをしているところです。
綿を育てているのだそうです。お布団などの中に入っている綿を見たことがありますか?
どんな花が咲いて、綿がどのようにできるのか今から楽しみですね。また6年修組さんでも、楽しい計画が進んでいるようです。また皆さんに紹介があるかもしれません。楽しみに待っていましょう。
さて、1学期にみなさんにお願いしたことが3つあります。
そうですね。「あいさつ」「名前を呼ばれたらハイの返事」そして「くつそろえ」です。 今日は3つのうちの「くつそろえ」について考えてみたいと思います…
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平成28年5月11日
始業式の時にお願いした「あいさつ」「名前を呼ばれたら『はい』の返事」「靴そろえ」皆さんはどうでしょうか。
1年生を迎える会の時にもお話ししましたが、1年生は皆さんの姿を映し出す鏡というお話をしました。1年生のみなさんのあいさつや返事靴そろえ、相変わらずとってもすばらしいです。
これも2年生3年生4年生5年生6年生のみなさんが1年生の立派なお手本になってくれているからだと思います。ありがとうございます。1年生の皆さんもお兄さんお姉さんのすばらしい姿をどんどん真似してほしいと思います。
さて、これを見て下さい。なんだか分かりますか。そうです。下氷鉋小学校のマーク、校章といいます。今から92年前、大正13年 下氷鉋尋常高等小学校と呼ばれていた頃、学校に勤めていた青木修一郎という先生が、この校章を考えたのだそうです。
この校章には、ある昆虫がいます。なんだかわかりますか。そうですね、ホタルが3匹います…
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平成28年3月11日

おはようございます。 この写真は1年生の教室の前にある花壇です。チューリップの芽が出てきたのがわかりますか。季節はいつの間にか冬から春に移り変わっていますね。
入学式の頃にチューリップの花が咲くといいですね。
さて、今日はとても大切なお話をします。1年生2年生のみなさんには少し難しいお話になりますが、最後まで頑張って聞いてください。
 この写真を見てください。
気づいたことを発表してください。
大きなペットボトルに水を入れて瓦礫の中を運んでいる写真です。
さて次の写真を見てください。
妹とそのお姉ちゃんでしょうか。周りをよく見ると体育館の中です。お布団が敷いてあるのがわかりますね。町の人たちが、学校の体育館で生活しているんです。
どうしてこんな生活をしているのでしょうか。  それは、2011年3月11日、つまり今から5年前の今日、東日本大震災という大変大きな地震が起きたのです。×の印のところで地震が発生しました。震度7または震度6強という、それはそれは大きな地震が起きたのです。
この地震によって、信じられないことが2つ起きました。
1つは、地震によって海の水が大きく揺れて、津波が発生しました。
もう1つは、福島県にある原子力発電所が地震によって壊れてしまい、放射性物質というものが、外へ漏れ出してしまったんです。この放射性物質をたくさん浴びてしまうと、病気になったり死んでしまったりするおそろしいものです。
今日は2つのうちの1つ、「津波」についてお話をします。
<津波の画像>
この地震で亡くなった方 15,895人
まだ見つからない方 2,561人
大けがをした人 6,152人
お父さんお母さんの両方をなくした子ども、またはお父さんお母さんのどちらかをなくした子どもは、1698人だそうです。
5年前の3月11日に小学生だったお友だちが、地震のことについて作文を書いています。
紹介します。
<1年生の作文>
 つなみの日 南気仙沼小学校1年 いぐち けんと
 ぼくは、かえりがくどうばしをわたっているときに、じしんがおきました。
 はしのまん中ぐらいまで、あるいてきたとすごく大きくはしがゆれてとてもこわかったです。まだゆれてるとき高校生のおねえちゃんたちがぼくたちをまもってくれました。
 学校へもどろうと言っていっしょに学校にもどりました。おねえちゃんがいなかったらいえにかえろうとおもっていました。
 学校にもどって先生の言うことをきいて、3かいまでのぼりました。
 まどをみて、なみがきました。
 車ややねがいっぱいながれてきて、3かいまでなみがくるとおもいました。
 よるになるとさむくてみんなでくっついて、ねました。カーテンをかけてねました。  おなかがすいてさみしくて、はやくかぞくにあいたかったです。でも先生たちがずっとおきててくれてうれしかったです。
 つぎの日おじいちゃんとおばあちゃんがむかえにきてじえいたいの車にのっておかあさんたちがいる気仙沼中学校のたいいくかんにいきました。おかあさんたちのかおをみていきててよかったとおもいました。
 ぼくのいえはもうながされてたからひなんじょで生かつしていました。  ひなんじょでともだちもふえて、あそぶ人もふえて、たのしかったです。とおくにいくともだちもいて、そのときは、ないちゃいました。おんじへやの人たちは、いもうとの4さいのたんじょう日におめでとうをいってくれたりうまれたばかりのおとうとのめんどうを見てくれたりしました。  みんなもぼくもはやくふつうの生かつにもどればいいです。てんこうしたともだちもたくさんいてさみしいけど、ぼくはがんばります。
がんばろう気仙沼

さて、初めに見てもらった写真です。
小学校5年生の男の子です。名前は「松本 魁翔」君といいます。
初めにも言いましたが、ペットボトルに水を入れて運んでいるところです。
魁翔君のお家も津波で流されてしまいました。地震のあった後、津波の来ない高いところにあった親戚の家で過ごしたそうです。
地震によって長い間水道の水が止まっていたため、魁翔君は、井戸水の出るところまで大きなペットボトルを持って行き、何度も水を運んだそうです。
ところが魁翔君は、瓦礫の中を水を運んでいる最中に釘をふんでしまったんです。魁翔君は痛くてたまらなかったのですが、家族には足をケガしたことは黙っていて耐えていたそうです。どうしてかというと、ケガをしたことを言うと、家族が心配して水をくみに行かせてもらえなくなるからだそうです。魁翔君は、家族のためにとにかく何かをしたかったのだそうです。

さて、その魁翔君ですが、5年経った今、どうしていると思いますか。
5年前は小学校5年生だったので、今は中学3年生です。
これが今の松本魁翔君です。
この5年間、バスケットボールをものすごく頑張ったのだそうです。4月からは仙台市のバスケットボールがとても強い高校に入学が決まったそうです。将来の夢はバスケットボールのプロ選手になることだそうです。
その魁翔君がこんなことを言っています。
「初めの頃は震災のことしか辛いとは思わなかった。それが震災とは違う部活のことに辛いと思えたことが、今はうれしい。自分は変われたんじゃないかな」
今までは地震によって家をなくし、たくさんの友だちや知り合いを亡くした。満足に水も使えない、食べ物もない、学校で友だちや先生とも勉強したり遊んだりできずに、辛い生活を送っていたけれど、夢中になれるバスケットボールに出会えて、試合に負けた辛さ、自分が失敗してチームの仲間に迷惑をかけてしまった辛さ、地震とは違った辛さを感じられるようになって、魁翔君は嬉しいと言っているんですね。
校長先生は、この言葉を聞いて、ああよかったなあと心から思いました。
東日本大震災に負けず、力強く前に進んでいる子どもたちがいることを知って嬉しくなりました。

でも、5年経った今も、仮設住宅で生活する人、自分のふるさとを離れて違う土地で生活している人、原子力発電所から出る放射性物質を5年経った今も止めることができず、自分の家に帰れない人、まだまだ東日本大震災で苦しんでいる人、困っている人はたくさんいるのです。
さて話は変わりますが、皆さんは1学期に「花は咲く」という歌を全校音楽で歌いましたね。
この歌は、皆さんも知っているとおり、東日本大震災で家族を亡くしたり、家が流されたりした人たちを励まそうとして作られた歌です。
今日は3月11日、5年前の震災で亡くなった方々に「やすらかに眠ってください」と祈る日です。
今もまだ、東北地方で自分たちのふるさとを取り戻そうと頑張っている人たちや、魁翔君のように 自分の夢に向かって歩き出している人たちに、下氷鉋小学校のみなさんの心が届くように、心をこめて歌ってください。お願いします。
花は咲く 作詞:岩井 俊二 作曲:菅野 よう子
真っ白な雪道に 春風香る  わたしはなつかしい   あの街を 思い出す
叶えたい 夢もあった  変わりたい  自分もいた
今はただ なつかしい  あの人を 思い出す
誰かの歌が聞こえる  誰かを励ましてる  誰かの笑顔が見える  悲しみの向こう側に
花は花は花は咲く  いつか生まれる君に  花は花は花は咲く   わたしは何を残しただろう
夜空の 向こうの 朝の気配に  わたしは なつかしい  あの日々を 思い出す
傷ついて 傷つけて  報われず 泣いたりして  今はただ 愛おしい  あの人を 思い出す
誰かの想いが見える  誰かと結ばれてる  誰かの未来が見える  悲しみの向こう側に
花は花は花は咲く  いつか生まれる君に  花は花は花は咲く  わたしは何を残しただろう
花は花は花は咲く  いつか生まれる君に  花は花は花は咲く  わたしは何を残しただろう
花は花は花は咲く  いつか生まれる君に  花は花は花は咲く  いつか恋する君のために

これで校長講話を終わります。
今、心の中に生まれた気持ちを大切にして、教室へ戻りましょう。
平成27年10月14日

 おはようございます。学校のイチョウの葉っぱが黄金色に色づき、秋も深まってきました。
 2学期が始まってもうすぐ2か月がたちます。「あいさつ」「はい」「くつそろえ」はどうですか?校長先生は、ずいぶんできるようになってきたなあと感じています。
 ただ、学校ではできているけど、学校以外の場所でできているかどうかがとっても心配でした。
 ところが、このあいだ、ある先生が「校長先生、こんなすばらしいことがありましたよ」って教えてくれたんです。
 この間、愛・勇・倫組さんは社会見学で飯山という所へ社会見学に行ってきたんです。
 そのときに、紙すき体験ができる所があって、そこのトイレを使ったあるお友だちが、「くつそろえ、くつそろえ」と歌いながら、スリッパを自分できちんとそろえていたのだそうです。そのお話を聞いて校長先生はとても嬉しくなりました。

 さて、写真を見て下さい。第1体育館と第1体育館の絵をかく6年生のお兄さんの姿です。
 みんなも知っているように、12月になると第1体育館は取り壊されて、新しい校舎が建ちます。
 この体育館は、昭和60年に建てられたので、今年でちょうど30年。つまり30歳ということです。第2体育館は昭和33年に建てられたので、今年で57歳。
 この体育館には、たくさんの思い出がつまっていますね。 取り壊されるまで「ありがとう」という感謝の気持ちをもって、第1体育館を使ってほしいなと思います。

 ところで、みなさんの好きな正義の味方というかヒーローは誰ですか?テレビや映画で活躍している正義の味方です。
 校長先生が小学校低学年の時に流行っていたヒーローは「ウルトラマン」「ウルトラセブン」、
6年生になると「仮面ライダー」でした。
 さて、これは誰ですか?そうです、アンパンマンです。  アンパンマンと、ウルトラマンや仮面ライダーのような正義の味方との違う点はなんですか?
 アンパンマンって他のヒーローに比べると、なにかさえないですね。
 このアンパンマンの作者を知っていますか。「やなせ たかし」という人です。
 1919年大正8年に東京で生まれたそうです。2年前にお亡くなりになっています。
<やなせたかしさんのエピソード>
 やなせさんが子どもの時のことです。
 お家の用事で、遠くまで汽車に乗って一人で出かけました。用事が済み、帰ろうとしたところ、財布を落としてしまいました。回りは知らない人ばかりだし、あたりは日が暮れてどんどん暗くなっていきます。おなかもすいてきました。しかたがないので、やなせさんは、駅まで行って、線路をずっと歩けば家に帰れると考えました。人に聞きながらなんとか駅までたどりついたけれど、あたりはもう暗くて、おなかはすいたし、心細くて死にそうなほどでした。
 そんなとき後ろから「やなせ君」と呼ばれたんです。ふりかえると、なんと友だちのK君とそのお母さんが立っていたんです。
 やなせさんは、ほっとしてうれしくて、二人が光に包まれたように見えたそうです。
 そのとき、K君のお母さんがおなかのすいたやなせさんに買ってくれたのが、あんパンだったのです。
 やなせさんは、こんなことも言っています。
 やなせさんは、テレビのヒーロー物を見るのが大好きなのですが、一つ納得できに事があったのだそうです。それは、ヒーローと怪獣が戦って、家や道路、森や川をメチャクチャに破壊してしまうのに、怪獣をやっつけたらさっさと去ってしまう。家をこわされた人たちに謝りに行ったりはしない。正義の味方っていうけれど、本当の正義ってなんだろうと思ったのだそうです。
 小さい頃のあんパンの思い出や、本当の正義って何だろうという思いから、アンパンマンが生まれたようです。

 アンパンマンは、他のヒーローと違って弱いしかっこよくないけれど、おなかがすいて今にも倒れそうな人、旅先でお金がなくなって困っている人、友だちから言われた心ない一言に傷ついている人、そういう細かいところに気がついて助けてくれるアンパンマンのようなヒーローが本当の正義の味方ではないかと「やなせたかし」さんは言っているんだと思います。

 全校のみなさんも、まわりで困っている人がいたら、やさしく助けてあげられる人になってくれたらうれしいなあと思います。
 そうなれば、例えば、友だちのことをかげで悪く言う人もいなくなるし、友だちの大切にしている物や作品を傷つけたりすることもなくなるだろうなあと思います。
 最後に「アンパンマンのマーチ」を聞いて終わりにしたいと思います。

 この歌の作詞は「やなせたかし」さんです。
 やなせさんの弟さんは、戦争で亡くなっています。兵隊さんとして、飛行機に乗って、相手の国の船に突っ込んでいって亡くなったそうです。
 やなせさんの弟さんへの思いもこの歌の歌詞に込められているそうです。高学年のみなさんは、そんなやなせさんの気持ちも考えながら聞いて下さい。

 これで校長講話を終わります。
平成27年9月16日

おはようございます。この写真は、プールの入り口の前にある花壇です。
美化委員のみなさんが苦労して作りました。
何を表しているかわかりますか。
真ん中の紫色のアゲラタムは小川を表しています。
そして、赤いサルビアは夕焼け空を表しています。
マリーゴールドの黄色い花はホタルを表しています。
この花壇は、下氷鉋小学校のホタルの小径を表しているのです。薄暗くなった夕焼け空に舞うホタル・・・すてきですね。

さて、この写真はわかりますか。そうです、サッカー男子日本代表チームですね。みなさんの知っている選手もいるでしょう。
今、日本代表の男子チームは5回連続ワールドカップという世界大会に出場していて、アジアの中ではとっても強い国になりました。
女子チームは、ワールドカップで優勝、準優勝、オリンピックでも準優勝の銀メダルをとりましたが、男子はワールドカップ、オリンピックあわせてメダルをとったことはあると思いますか。
たった一度だけあるんです。今から47年前、校長先生が小学生の時、日本代表はメキシコオリンピックで一度だけ銅メダルを取ったことがあるんです。そのときの日本代表の監督は「長沼 健」という人でした。
長沼健さんは、日本代表の監督を11年も務めたました。そしてすばらしいサッカー選手をたくさん育てました。また、日本サッカー協会の会長さんとして活躍し、みなさんもよく知っているJリーグをつくるために先頭に立ってがんばりました。
そんなすばらしい長沼さんに、どうしたらサッカーが上手になるのか?長沼さんの話を聞きたい人はたくさんいました。長沼さんは、ある講演会で、サッカーが上手になるための大切なことを二つ挙げました。それは一体何だと思いますか?
さて、少し話は変わります。長沼さんの話を、ある有名人が聞いていたんです。その人がこう言いました。「上手になる大切な二つは、私達の世界でも同じです」。
この人の職業は一体なんでしょうか。写真を見て下さい。そうです、読売ジャイアンツです。今もとても強いチームですが、校長先生が子どもの頃は、今よりもっと強くて9年連続日本一になったこともあるんです。長沼さんのお話を聞いていたのは、そのときのジャイアンツの監督さんでした。 川上哲治さんといいます。現役時代は、「打撃の神様」と呼ばれるほどの バッターで、監督としても巨人を9年連続日本シリーズで優勝させた、名監督です。このときの選手には長島さん、王さんもいました。 そんな名監督達がいう「上手になるための二のつ大切なこと」とは一体何なのでしょう。 答えはこれです。
「あいさつ」「くつそろえ」
長沼さんのお話を聴いていた人から、質問がありました。
「あいさつやくつそろえが出来なくても、サッカーが上手になる人はいますか。」
長沼さんは「絶対にいません」と答えました。
さらに言っています。
「何千人という選手を育ててきたが、上手になる人は、あいさつとくつそろえがきちんとできる人なのです。なぜかは分かりません。」
校長先生も同じようなことを思います。たくさんのドッジボールのチームを見てきましたが、必ず優勝するチームは「あいさつ」と「くつそろえ」ができるチームでした。

みなさんの「あいさつ」「くつそろえ」は、一学期に比べてずいぶんよくなってきたなあと思います。この写真は9月14日月曜日の朝の様子です。
いつも月曜日というと、あいさつに元気がない人が多かったのですが、この日はとても元気で気持ちのよいあいさつをしていましたね。これは9月11日、みなさんが登校してきた後の下駄箱です。どうですか。すばらしいですね。
  これからも、「あいさつ」「くつそろえ」「名前を呼ばれたら『はい』の返事」をしっかりやっていきましょう。

本物は 続きます。 続けていけば 本物になります。

これでお話を終わりにします。
平成27年8月19日

夏休みが終わりました。楽しい夏休みになりましたか。
さて今日から二学期が始まります。夏、秋、冬と3つの季節を数える85日間の長い長い二学期です。
2学期のスタートにあたり、校長先生からみなさんにお願いがあります。
2学期もみなさんに続けて言ってもらいたいことを2つお話しします。
1つめ なんだかわかりますよね。1学期にお願いしたことと同じです。
「あいさつ」「名前を呼ばれたら『はい』の返事」「くつをそろえる」 です。
とくに2学期のスタートにあたり、「あいさつ」が響き渡るようになればいいなあと思います。特に6年生のみなさん、みなさんがあいさつのお手本となってください。よろしくお願いします。
1学期と同じように2学期もこの3つのことをがんばってほしいなと思います。

2つめは、自分の目標に向かって努力を続けていこうということです。
作文にもあったように、2学期にこんなことをがんばりたい、あんなことができるようになりたいという目標をみんなもっていますよね。
校長先生も今1つの目標に向かってがんばっています。
47秒58
これは去年の長野市民水泳大会の校長先生の50m平泳ぎの記録です。今年の大会では、この記録を破ることができるように、 今一生懸命練習をしているところです。
みなさんも夢や目標に向かって、一生懸命がんばってくれるといいなあと思います。
それでは、今日は「努力のつぼ」というお話をします。
 ある1年生のお友だちが「努力のつぼ」についてこんな作文を書いています。紹介します。

 ど力のつぼ

「お母さん、ど力のつぼのはなし、またして。」
「ウンいいよ。こんどはなあに。」
「さかあがり」
「あらあら、まだいっぱいになっていなかったのね。ずいぶん大きいね。」と、いいながら、お母さんは、いすをひいて、わたしの前にすわりました。
 そして、もうなん回もしてくれた、「ど力のつぼ」のはなしをまた、ゆっくりとはじめました。
 それはこんなおはなしです。
人がなにかをはじめようとか、いままでできなかったことをやろうと思ったとき、かみさまから「ど力のつぼ」をもらいます。
そのつぼには、いろいろな大きさがあって、人によって、ときには大きいのやら、小さいのやらいろいろあります。
そしてそのつぼは、その人には見えないのです。でも、その人がつぼの中に、いっしょうけんめい「ど力」を入れていくと、それがすこしずつたまって、いつか「ど力」があふれるとき、つぼの大きさがわかる、というのです。だからやすまずにつぼの中にど力を入れていけば、いつか、かならずできるときがくるのです。
わたしは、このはなしが大すきです。ようちえんのときはじめてお母さんからききました。そのときは、「よこばしご」のれんしゅうをしているときでした。 それからも「一りん車」「てつぼうのまえまわり」「とびばこ」「竹うま」なんでもがんばってやっているとき、お母さんにたのんで、このはなしをしてもらいます。くじけそうになるときでも、このはなしをきいていると、心の中に大きなつぼが見えてくるような気がします。
そして、わたしの「ど力」がもうすこしであふれそうに見えるのです。だから、またがんばる気もちになれます。
お母さんのいうとおり、この「さかあがり」のつぼは、ずい分大きいみたいです。「さかあがり」をはじめてから、もう二回もこのはなしをしてもらいました。でも、こんどこそ、あとすこしで、あふれそうな気がします。だから、あしたからまたがんばろうと思います。
お母さんは、「つぼが大きいとたいへんだけど、中みがいっぱいあるから、あなたのためになるのよ。」と、いってくれるけど、こんど、かみさまからもらうときには、もうすこし小さなつぼがいいなあと思います。

 さて、みんなが何か始めようとか、今までできなかったことをやろうと思った時に、神様から「努力のつぼ」をもらうのだそうです。これは、どんな人もみんなもらうのですよ。そのつぼは、いろいろな大きさがあって人によってちがいます。例えばプールで25m泳ぎたいという目標を持ったとき、水泳の得意な人は小さいつぼでしょうね。水泳が苦手だという人は、少し大きいつぼです。
 みんながつぼの中に一生懸命「努力」を入れていくと、それが少しずつたまって、いつか「努力」があふれる時がきます。努力があふれるとき、それはできなかったことができるようになるときです。だから休まずにつぼの中に努力を入れていけば、いつか必ずできる時がくるのです。
 でもみなさんの中で、自分はこんなに頑張っているのに、なぜ結果がでないのかと思う時があるでしょう。それはね、努力のつぼの大きさがわからないから、努力をどれだけ続ければいいかわからないからです。
 あと1日努力すればできるようになる、そんなふうにわかればいいのですが、それはわかりません。ですから、あきらめないことです。あきらめたら終わりです。
 努力をしているときは、本当に辛いものです。努力をしても、努力をしても、結果が出ないと限界を感じてしまうことでしょう。でも、「努力のつぼ」というのがあるのです。
 あと1日でできるようになっているかもしれないのに、あきらめたら何にもなりません。
 これまで苦労して頑張っている努力の分は、間違いなくそのつぼにたまっています。少しずつですが、確実にたまっているのです。ですから、あきらめずに休まずにつぼの中に努力を入れていけば、いつか必ずあふれるときがきます。
 このことを信じて、あきらめずに何かに挑戦していきましょうね。
 これでお話を終わりにします。
平成27年6月24日

おはようございます。
最近は雨がたくさん降ります。昨夜もものすごい雨が降りました。みなさんの通学路や家のそばを流れている川は、水かさが増えたり流れが速くなったりしているので、川のそばに近寄ったり川で遊んだりしないように注意しましょう。

さて、ここはどこですか?(東京ディズニーランドの画像を提示)
そう、東京ディズニーランドです。ディズニーランドの創設者は「ウォルト・ディズニー」という人です。
さて、このディズニーさん、ディズニーランドをつくるとき、お客様に2つのプレゼントをしたいと考えました。なんだと思いますか。おとなり同士で話し合ってみましょう。
おきゃくさまに()と()をプレゼントしたい
正解は、「夢と「感動」です。
東京ディズニーランドでも同じように、お客様に夢と感動をプレゼントしたいと毎日がんばっているのです。その結果、東京ディズニーランドには毎年1500万人の人がやってくるのだそうです。

さて、ディズニーランドが、お客様に夢と感動をプレゼントするために、一番力を入れている仕事は何でしょう。
ディズニーランドにはたくさんの係があります。
・アトラクション係・ショーやパレード係・たべもの係・おみやげ係
・あんないゆうどう係・チケット係・ちゅうしゃじょう係・けいび係・おそうじ係
・かんご係・ぬいぐるみ係・まいご係・あんぜんてんけん係
どのお仕事も大事なんですが、その中でも一番力を入れているお仕事です。
正解は「おそうじ係」です。
お掃除係の人たちは、朝から晩まで、300人ずつ15分交代で掃除をしています。ディズニーランドに行った人の中で、ゴミが落ちているのを見たことがありますか。もし見たとしても15分たたないうちに、そのゴミはきれいに片付けられてしまいます。
お掃除係の中でも、「夜のお掃除係」と呼ばれる人たちがいます。夜のお掃除係の人たちは、ディズニーランドが閉まった後、あの広いディズニーランドをすべて水洗いしたり、トイレのお掃除をしたりしています。
このような人たちがいるからディズニーランドはいつもきれいなのです。
ところで「夜のおそうじ係」には、お掃除の目標があります。その目標とは何でしょう?

目標:(   )が(   )してもだいじょうぶなくらいきれいにする。
おとなり同士で話し合ってください。
正解は、目標:(あかちゃん)が(はいはい)してもだいじょうぶなくらいきれいにする。
それくらい徹底して水洗いしているのです。でも、真夜中の掃除というのは、やっぱり寂しいし、嫌になるときもあります。
ある「夜のおそうじ係」の人のお話です。

東京ディズニーランドの役員をしている北村さんは、ディズニーランドで働いている人の意見を聞いたり、仲良しになるために、自分も夜のおそうじ係として、真夜中にお掃除をするそうです。
ある夜のことです。北村さんが「アドベンチャーランド」を掃除し、レストランのキッチンを洗い終えた午前3時頃、トゥモローランドへ移動しました。
そこには、大きなトイレがあり、若い夜のお掃除係の人が一人で一生懸命ゴシゴシ掃除しているのが見えました。
不思議なことに一人でお掃除をしているはずなのに、そのトイレから話し声が聞こえてくるんです。

話し声が聞こえるのはなぜでしょう?

正解は「便器に話しかけていたから」です。どうしてそんなことをしていたのか、今からお話しします。

北村さんが不思議に思って近づいてよく聞いてみると、なんと彼は便器に話しかけながらお掃除をしていたのです。これには北村さんもびっくりしました。そしてなぜ便器に話しかけるのか尋ねると、彼はぽつりぽつり話し始めました。
「僕は、自分で希望してこの仕事を選んだけれど、この仕事がいやでいやでしかたがありませんでした。夜はやっぱり寂しいし、こんな広いところを少ない人数でピカピカにするのはつらい。どうしてこんな事をやっているのか情けなくなってきたんです。何度もやめようと思いました。
でも、本場のアメリカのディズニーランドへ行って考え方が変わったんです。アメリカの夜のおそうじ係は『こんな素晴らしい仕事をどうしていやがるんだい。僕はぜんぜん寂しくないよ。なぜか教えてやろうか』と言って、トイレに連れて行ってくれたんです。それで『これはみんな僕の友だちだよ、名前もあるんだよ』と言って、ずらっと並んだ便器を『トム、ジャック、シティーブ・・・』と順番に呼んで紹介してくれました。『僕は毎晩彼らと話しながら仕事をしているんだ』というなり『トムどうだい?元気かい?そうか、今日は思い切り汚されたからキレイにしてくれって?よし、思いっきりきれいにしてあげるよ』なんていいながら掃除していくんです。
『こうしてキレイにしてあげると、便器も喜ぶし、お客さんも喜ぶんだ。そして僕も楽しいよ』
これはスゴイ。僕は思わず泣けてきました。よし、僕もこれでいこう。そう思って日本に帰ってきてからがんばっているんです。」
彼はこんな話をしてくれました。北村さんは心がホッと暖まるような感動を覚えました。
みなさんも毎日一所懸命お掃除をしています。紹介します。
みなさんのお掃除をしている姿、すばらしいなあと思います。
ディズニーランドの夜のおそうじ係の人にも負けないくらいのお掃除をしている人もいます。

ほんものはつづくつづけるとほんものになる

お話を終わりにします。
平成27年5月20日

おはようございます。この写真は1年生を迎える会の時にお話しした,6年生の素敵な姿です。
横断歩道の向こう側で待つ1年生を6年生が登校班の集まっている所まで連れていく途中の写真です。この姿を見ると心がとても温かくなります。
さて、1年生には入学式に、2年生以上の皆さんには始業式の時に3つのお願いをしました。覚えていますか。 「あいさつ」「はい」「くつそろえ」についてお願いしました。
みなさんは今あいさつがきちんとできていますか。
この写真は昨日の登校や下校の時の写真です。ここに写っているお友だちは、とってもすばらしい挨拶をしてくれました。
今日は富山県に住む1年生の男の子の作文を紹介します。聞いて下さい。
 ぼくは、4月にしょう学校ににゅう学しました。学校は、さかの上にあり、20ぷんくらいあるいて、とう下校しています。ぼくと5ねんせいのおにいちゃんがいえを出るとき、おかあさんやばあちゃん、いえにいる人が、「いっておいで。」といってくれます。ぼくとおにいちゃんは、「いってきます。」といって、しゅっぱつします。学校までに、たくさんいえやはたけがあり、あるいていると、たくさんの人とあいます。いっしょにあるいているおにいちゃんやおねえさんは、大きなこえで、「おはようございます。」とあいさつします。ぼくは、はじめてそれをきいたとき、とても大きなこえでびっくりしました。大きなこえであいさつすると、おとなの人は、「おはよう。」「きをつけてね。」「がんばっていっておいで。」「あついがにえらいね。」などいろんなことをいってくれます。おとなの人たちがやさしくあいさつしてくれるので、ぼくはきもちよく学校まであるいていけます。だから、ぼくも大きなこえであいさつするようにがんばっています。でも、おにいちゃんに、「ひかる、もっと大きいこえ出さんな、だめやよ。」
といわれます。2学きからは、もっと大きなこえであいさつするようにがんばりたいです。
 ぼくは、もう1つがんばっていることがあります。ぼくの学校はさかの上にあるので、ながいさかみちをのぼらなければいけません。ただあるくだけではありません。下からも上からもせんせいやおきゃくさんの車がくると、とまっておじぎをします。はじめはいっしょにあるいているおねえさんにおしえてもらいながらしていました。ぼくは、はやく学校につきたくて、いっしょうけんめいあるいていて、たまにわすれてしまうことがあります。ぼくたちがあいさつすると、車のまどをあけて、「おはよう。」といってくれるせんせい。にっこりわらっておじぎをしてくれるせんせい。手をふってくれるおとなの人。みんなぼくたちにげんきにあいさつしてくれます。だから、これからもわすれないように、とまっておじぎをしたいとおもいます。
 ぼくは、3月までおかあさんの車でほいくえんにいっていたので、こんなにたくさんのおとなの人にあいさつしたり、あいさつしてもらったりすることはなかったです。あるいて学校にいくのはつかれるけど、たくさんの人とあいさつできるたのしさがあるから、とてもうれしいです。ぼくのあいさつで、たくさんの人にげんきをあげられたらいいなとおもいます。
 この1年生は自分のお兄ちゃんや登校班のお姉さんのあいさつをまねすることで、あいさつの大切さや楽しさを学んでいるのですね。
 登校班の班長さん立ちましょう。小さい人たちは、班長さんのあいさつの仕方をまねしているんです。明日からあいさつをがんばってください。
次、名前を呼ばれたら「はい」という返事ができますか。
この間、5年義組さんの社会の授業を観させてもらいました。みんなしっかり手を挙げて発言していました。その中で、先生が○○さんと名前を呼ぶと、決して大きな声ではないけれど、「はい」ときちんと返事ができていました。すばらしいなあと感心しました。
「あなた」という人は、この下氷鉋小学校に一人しかいません。もっと言えば、日本の中、世界の中でもあなたという人は一人しかいません。自分の名前を呼ばれたら「はい」と返事のできる人は、自分は一生懸命頑張っていますよ、自分の目標に向かって努力していますよ、大げさかもしれないけど、自分は地球のど真ん中に立ってしっかり生きていますよという気持ちで生活している人なのかなと思います。
3つめ。くつそろえができますか。
それぞれの下駄箱の写真を見てみましょう。どの学年もきちんと靴がそろえられていてすばらしいなあと思います。
くつをそろえるということは、後始末がきちんとできるということです。後始末の様子から、その人の心はわかります。その人の心が後始末の中に残るんです。これから教室に戻りますが、教室のあなたの机やいすの様子からも、あなたの心がわかります。給食の片付け、おそうじの片付けにもあなたの心が残ります。
篠ノ井の円福寺というお寺の和尚様が詩をつくりました。紹介します。
「はきものを そろえる」
はきものをそろえると 心もそろう
心がそろうと はきものもそろう
ぬぐときに そろえておくと はくときに心がみだれない
だれかが みだしておいたら だまって そろえておいてあげよう
そうすればきっと 世界中の人の心も そろうでしょう
  「あいさつ」「はい」「くつそろえ」はなかなかできませんよね。東井義男という立派な先生が次のように言っています。
ほんものは つづく  つづけると ほんものになる
全校のみんなで「あいさつ」「はい」「つくそろえ」を続けて 本物にしていきましょう。これでお話を終わりにします。
平成26年5月21日
下氷鉋の春
 一学期が始まって、2ヶ月近くになりますが、もうすっかり新しい学年や学級に慣れて、1年生は1年生らしく、6年生は6年生らしくなってきました。これから、音楽会に向けての練習が始まったり、5年生は高原学校、6年生は臨海学校の準備なども始まったりと、いよいよ学校生活も盛り上がってきます。こうしておけば良かったなあと後になって悔いを残さないように、自分の精一杯を出し切って取り組んで欲しいと思います。
 さて、今日は下氷鉋の自然についてお話をしたいと思います。下氷鉋小にはたくさんの木々があります。今が盛りと花が咲き誇っていますね。4月の入学式の頃には、プールの横の梅の花やサクラも咲きました。色とりどりの花が咲いて、とてもきれいでしたね。
 もう、枯れかかっているのですが、こんな花も見られるます。「ボタン」「ハナミズキ」「ヤエヤマブキ」「フジ」今、一番きれいに咲いているのが、「ハナショウブ」「ツツジ」です。春が一年中で、一番花のきれいな時期です。下氷鉋小学校にはたくさんの木々があって、季節によって、花が咲いたり、葉っぱが赤くなったり、黄色になったりします。木々で季節を感じることができる、素晴らしい自然環境があります。
 さて、そこでクイズです。山の様子で季節を表す言葉があります。難しい言葉で季語といいますが、「山笑う」「山滴る」「山燃える」「山眠る」という言葉は、四つの季節を表しています。では、今の季節(春)を表す言葉はどれでしょうか?答えは「山笑う」です。花が咲き誇って賑やかな感じがしますね。では、秋はどれでしょう。赤くなったり、黄色くなったりするのを「山燃える」と表しています。夏は?木々にはたくさんの葉が茂って緑色が濃くなっていくのを「山滴る」と表します。最後に残ったのが冬。木々は葉を落として、雪が降り、春が来るのをじっと待っている様子を「山眠る」と表します。下氷鉋は山ではありませんが、木々に囲まれて、自然の姿を身近に感じることできる下氷鉋小学校はとても素晴らしいなあと思います。これからもずっとずっと大事に守っていってほしいと思います。
 もう一つ、下氷鉋小学校で自慢できる自然がありますね。何かというと「ホタル」です。4月に放流式がありましたが、皆さんの学年に一つずつ水槽が配られて、幼虫の観察をしたと思います。ホタルの幼虫を自分の目で見た人?よく見られなかった人もいるようなので、これからスクリーンに映します。

どっちが頭でしょうか?こうしてみるとたくさんの足がありますね。でも、歩くときに使う足は6本だけです。この6本と一番しっぽについているエビのしっぽのようなところを使って、動きます。あとは、足ではなくて呼吸えらといって、息をすうためについているものなんですね。幼虫は何を食べているのでしょう?そうです。カワニナという貝を食べて大きくなります。生まれたばかりの幼虫がカワニナを食べている様子です。
カワニナを食べて大きくなった幼虫が今、ホタルの小川に何百匹も活きています。これからどうやって水から出てくるのでしょうか。ホタルの姿とは似ても似つかない姿をしていますが、どうやってホタルに変身するんでしょうか。今、校長先生は答えを言いません。知りたい人は、自分で調べるか、先生に聞いてみて下さい。学校のどこかにも答えがはってあります。見つけてください。
 早ければ今月の終わりぐらいからホタルが飛びます。たくさん飛んでもらいたいのですが、今は何もできません。その日がくるのをじっと待っているしかありません。たくさん飛ぶのを楽しみにしていましょうね。それから、ホタルの小川に張ってあるロープの中には入らないようにしましょう。
 今日は下氷鉋の自然の話しをしました。これだけの自然がある学校はあまりありません。先ほども言いましたが、みんなでその自然を大切にして、守っていく努力や創っていく努力をしていくことをお願いして、校長先生の話を終わりにします。
平成25年6月26日
140周年に寄せて 下氷鉋の宝物A
 今日は、この前お話した下氷鉋の宝物の話の続きです。
 作新記念館の中に、こわれた石像があります。みなさん、知っていますか? これです。首だけ持ってきてしまいましたが、胴体も足もあります。この石像は、昇降口の前の林の中に建っていたんですが、傷んでしまったので、作新記念館にしまっておいたのでしょう。
 この石像のモデルは誰だか知っていますか? そう、二宮金次郎という人です。正しい名前は、二宮尊徳といいます。この二宮金次郎という人はどういう人だったのか、お話をします。
 金治郎は、今から二百二十年ほど前、神奈川県の小田原市というところで生まれました。生まれた家は、大きな地主で豊かな暮らしをしていたのですが、5歳の時に、水害(大雨で堤防がくずれて)にあって、家の田畑は石や砂に埋まってしまったのです。
 お父さんは、頑張って働いたのですが、亡くなってしまいました。残されたお母さんと幼い弟を養っていくために、金治郎は一生懸命はたらきました。朝早く起きて、日が暮れるまで母を助けて畑仕事をし、よるは遅くまで縄をないました。収穫が終え、富士山が雪化粧をし、箱根の山々から冷たい風が吹く頃になると、箱根の中腹まで薪とりに行きます。毎日、約4キロの道を通いました。そしてとれた薪をしょって下りて、小田原の町まで売りに行ったのです。その行き帰りにも、金治郎は大学という儒教のむずかしい本を読み、暗唱しながらあるいたのです。その姿が、この石像なのです。
 さて、お父さんが死んで2年後、お母さんも後を追うようにして亡くなってしまいます。そして、わずか残った家や土地も再び水害で埋もれてしまいました。金治郎は、十六歳から十八歳まで、親戚のおじさんの家で過ごしました。金治郎はとにかく本が好きで、あるとき、金治郎が夜遅く本を読んでいるのをみて、おじさんは、「百姓に学問はいらない、少しでも早く寝て明日の仕事にそなえろ、第一、明かりの油がもったいない」とどなりつけました。
 この勉強好きの金治郎に、村の人たちはいろいろなあだ名をつけました。田畑の仕事のないときは、堤防の上で川の水の勢いを観察したり、植えた松苗の手入れをしたり、本を読んだりする彼を「土手坊主」といいました。また、きねで米をつき、臼の回りを回りながら読書をするのを見て「ぐるりいっぺん」と笑ったりしました。しかし。金治郎の学問を愛する心は村人から笑われてもおじさんからしかられてもくじけることはありませんでした。そんな金治郎は、頑張って働き、家を建て直していきます。そればかりか、藩の財政まで立て直してして出世していきました。栃木県に移り住んで、その土地の立て直しをしろと殿様に命ぜられたりして、最後は幕府の役人にまでなっていったのです。役人になってはじめて尊徳(たかのり)という名をなのるようになったのす。70歳でなくなるまで、人々に多くの教えを残していきました。
 有名な言葉に「積小為大」(せきしょういだい)という言葉がありますが、小を積みて大と為す、つまり、小さな事をこつこつと積み上げることが、やがて大きな成功につながるということです。
 このような、二宮尊徳の生き方や教えを手本にしましょうということで、昔の小学校には二宮金次郎の像がたくさん建てられたのです。先生が卒業した小学校にもありました。
 校長先生は、この下氷鉋小学校に来て、こわれた二宮金次郎の石像をみて、心を痛めていました。こわれた石像を見ていると、とてもかわいそうな気もしていました。何とか、元のところに返してあげたいな、と思っていたのです。そこで、学校の近くの石屋さんに相談にいきました。日高石材さんという石屋さんです。南バイパスのセブンイレブンのお隣にある石屋さんです。社長の高木さんに「壊れた二宮金次郎を直すことはできないでしょうか。」と聞きました。「何度も修理をした跡があるので、直しても、またすぐに壊れてしまうかもしれません。」という答えでした。でも「新しい石像を作って、下氷鉋小学校に差し上げます。」というとてもありがたいお話をいただきました。
 そんな訳で、新しい二宮金次郎の石像が、近々、昇降口の石の上に建てられます。楽しみにしていましょう。新しい下氷鉋の宝物ができます。日高石材さんに皆さんでお礼をいいましょう。ありがとうございました。
 皆さんに、二宮金次郎のようになれとはいいませんが、小さなことを積み重ねる大切さやあきらめずに努力することの大切さをこれからも大事にしてほしいと思います。新しい宝物を、皆さんで大事に守っていきましょう。

平成25年5月22日
 140周年に寄せて 下氷鉋の宝物@
 今年は、開校140周年の記念の年です。
 1年生の皆さんは、140周年記念ってわかりますか? 1年生は今、6歳と7歳の人がいますね。生まれてから6年、7年が過ぎているんですね。この下氷鉋小学校が生まれて、140年立っているんです。今年は、140歳の誕生日を迎えて、そのお祝いをする年なのです。
 今、日本で一番長生きをしている人は、
 男の人は、京都にお住まいの木村次郎右衛門(きむらじろうえもん)さんで、116歳です。1897年(明治30年)4月19日生
 女の人は、大阪にお住まいの大川ミサヲ(おおかわみさお)さんで、115歳です。1898年(明治31年)3月5日生
 この二人は現在世界で一番長生きをしている男の人と、女の人ですが、下氷鉋小学校は、もっと長生きをしていて、今年140歳になります。下氷鉋小学校の誕生日は、明治6年の8月10日ですので、その時に生きていた人は、世の中にだれもいません。下氷鉋小学校はそんなに長生きなんです。
 なので、今年は、空から飛行機で写真を撮りましょう、お祝いのパンフレットを作りましょう、音楽会や運動会で誕生日をお祝いする種目をやりましょうということになりました。そのことも大事なのですが、もっと大事なのは、ここにいる皆さんが、下氷鉋小学校の歴史を勉強して知ったり、地域の人たちの苦労を知ったりして、この学校を大事にしていこうとする気持ちを持つことです。児童会のスローガンも「140周年記念、信頼の絆を深め、笑顔あふれる楽しい学校」ということに決まりました。皆さんでいっしょに、記念の年を祝って、もっともっといい学校にしていこうという気持ちを持って欲しいと思います。
 そこで、今日は、長生きしてきた下氷鉋小学校の大事にしてきたもの、宝物を紹介したいと思います。今日は二つ紹介します。
 まず、一つ目です。この写真を見て下さい。もうわかりますね。そうです。作新記念館です。作新記念館の中にはいろんな部屋があって、たくさんの古い道具や本が置いてあります。作新記念館は何のために作られたんでしょう。下氷鉋小学校は明治6年にできたときは作新学校という名前だったのですが、その校舎だったんですね。明治16年に建てられたので、作新記念館は今年130歳になります。お年寄りなので、大事にして欲しいと思います。中に入ってみるといろんな部屋があります。広い木の床の部屋があったり、畳が敷いてある部屋もあります。この畳が敷いてある部屋が教室でした。座って勉強をしたんです。足なんか伸ばさずにきちんと正座をして勉強をしたんでしょうね。今は、全校で751人のお友だちがいますが、明治16年には300人くらいの子どもが通っていました。先生は13人だけでした。この作新記念館が本館で、他にも校舎があったのですが、今残っているのは作新記念館だけです。この記念館も、今から57年前に、古くなったということで校庭の南側にあった若月メリヤス工場に工場として譲られたのですが、今から40年前の百周年記念の時に、地域の人からお金を集めて、もう一度学校に戻されて、作新記念館となりました。まだまだお話したいこともありますが、皆さん自身で調べてみてください。下氷鉋小学校の宝物ですから、これからも大事にしていってほしいと思います。
 もう一つの宝物についてお話します。
 この曲を聴いて下さい。この曲は、何という曲でしょう。そう、「たなばたさま」ですね。この曲の歌詞(言葉)を考えた人は、林柳波(はやしりゅうは)という人です。このほかにも、「お馬」とか「スキーの歌」など、たくさんの童謡の作詞をしています。
 もう一曲、聞いて下さい。この曲は「チューリップ」ですね。この曲を作った人作曲者といいますが、井上武士(いのうえたけし)という人です。この人は、「こいのぼり」や「きしゃぽっぽ」などの作曲をしています。このお二人はとても有名な方で、二人とも群馬県で生まれました。林柳波さんが作詞して、井上武士さんが作曲した歌があります。聞いて下さい。
 「うみ」という曲ですね。1年生の音楽で習う曲です。広い、真っ青な海の景色が目の前に見えるようないい歌ですね。さて、この有名なお二人の先生が、いっしょに作った曲をもう一曲聴いて下さい。この曲は知っていますね。そうです。下氷鉋小学校の校歌です。校歌はとても有名な先生に作って頂いたのです。校長先生は、下氷鉋小学校のこの校歌が大好きです。とくに、「伝統古く文化は新たに、誇りに充ちたりわれらが氷飽」というところは、古い伝統を大事にして、そして自分たちで新しい文化をつくっていこうという意味ですね。「作新」という名前がぴったりくるところだと思います。この校歌がいつ頃作られたのか、どうやって作られたのか、興味のある人は、自分で調べてみましょう。
 さて、今日は、作新記念館と校歌という、下氷鉋小学校の宝物を二つ紹介しました。二つとも、とても大事なものですから、これから10年、20年、100年と、ずっとずっと、みんなで守っていって欲しいと思います。
 これからも、下氷鉋小の宝物を紹介しますので楽しみにしていてください。

平成23年9月20日
 さて、これは何でしょう? そうですね。池の前に立っている柳の木です。この柳の木の年齢は何歳くらいだと思いますか? ここに校長先生が生まれた頃、60年くらい前の下氷鉋小学校の写真がありますが、この写真には、この柳の木がすで映っています。皆さんのおじいちゃん、おばあちゃんが学校に通っていた頃から、この柳の木はずっと長い間、この学校の地面から水分を吸い上げ、この敷地で呼吸をして、毎年、柳の葉っぱを垂らして木陰を作って、学校に通ってくる子供達を、今まで何千人と迎えて、見守り続けてくれているのですね。校長先生はこの柳の木は本校の大切な大切な宝の一つだと思っているのです。虚(うろ)といって、木のお腹がえぐられたように縦に穴ができているでしょう。恐らく雷に打たれているのだろうと思います。すごいと思いませんか? 私達だったら、体が雷に打たれれば生きていられないんじゃないかと思いますよ。よーく見るとかわいそうなくらいですが、毎年夏になると、元気に柳の葉を長く豊かに葉っぱを垂れさせています。校長先生は毎朝、学校に来ると、必ずこの柳に木に挨拶をして、「おはよう。今日も元気かい。俺も負けないように頑張るよ」と、自分自身に言い聞かせて、しっかりと立っている柳の木に励まされています。皆さんも、帰りでも学校に来た時でもいいから、じっくりこの柳の木を見て、柳の木と心の中でお話をしてみて下さい。

 さて、本校は再来年で140周年を迎えます。とても長い伝統のある学校です。作新記念館は学校ができた頃からあります。この古い作新記念館は長野市で二番目に古い明治時代の建物で、市の文化財にも指定されているのです。最初は、この写真からも分かるように、今の昇降口の場所に建っていたのです。それが、一時、校庭の南西の角の方に動かされ、しばらくそこでメリヤス工場の倉庫として使われていたようです。それではもったいないということになったのでしょうね。昭和49年に、100周年を記念して、現在の場所にまた動かされたということです。
 本校は、昔から「作新学校」とも呼ばれ、何これ珍百景にもなったように、長野県だけでなく、全国的にもユニークな漢字の学級名からも、地域の方は当時の古い建物だけでなく、この学校そのものを大切に思っていることが分かります。地域の学校として誇りに思い、大切にしてきています。 でも、地域の方が心配したり気遣ったりしているのは作新記念館などの建物だけではありませんよ。下氷鉋小の子供達は毎日しっかり学んでいるだろうか、柳の木のように根を耕して、地面にしっかり根をはり、落ち着いた生活をしているだろうかと大変心配されています。「子供達が公園で野球をしていると、ボールが外に飛び出て危ない。校庭では野球をさせてあげられないのですか?」 そう心配して校長先生の所に訴えて来たおじさんがいました。そんなことはないですね。「道路で、キックボードで遊んでいる子がいて危ない。何とかしないと交通事故になります。」と、回覧版で回して注意するようにして下さった地区もありました。ありがたいですね。「朝、学校に行っているはずの時間なのに、近くの公園で遊んでいる小学生がいますが。どうしたのでしょうかねえ。心配です。」と電話を下さった方もいます。あげたらきりがありませんよ。地域の方は本校の柳の木と同じように皆さんを常に見守って、皆さんのことで様々な心配をしています。それはどうしてでしょう? おらほ、おら所の学校の子供だからですよ。地域の方々は、地元の学校だから自分のことのように、絆を感じて、心配して下さっているのですが、あまり余分な心配はかけたくないですね。柳の木、作新記念館、相撲場、ホタルの水路などなど、素晴らしい宝物がいっぱいある下氷鉋小学校で学んでいる皆さん、地域の人々と同じように、この学校のことを、友達のことを、そして自分自身のことを、もう少し大切に考えて生活してみませんか。私達も地域のことを大切に思い、挨拶をしっかりして、感謝の気持ちで毎日をすごしていきたいものです。10月8日の運動会を地域の方々が楽しみに待っています。がんばりましょうね。
一学期終業式
平成23年7月26日
先週の18日には、ナデシコジャパンとアメリカとの決勝戦がありました。すごかったですね。先に点をとられても追いついて、延長戦前半で2点目を取られて突き放されても、さらに後半で追いつく、なんともすごい粘り強さでした。アメリカのチームもナデシコのねばり強さに根負けしてしまったようにも見えました。校長先生は、点をとられる度に「ああだめか」と、ガックリしてひっくり返って寝てしまったのです。寝ていると、そのうちにナデシコが点を取っているんですね。解説が、声を上げて喜んでいるものですから、その声で、「えっ」「どうしたん!」「また、点取り返したの!やるなあ」なんて感心しながらテレビを見ていたのですよ。最後まで何があるか分からない。最後まで、頑張り抜くことの大切さや、負けていてもひっくり返すぞという気持ちで頑張り、粘ることの素晴らしさを教えてくれたように思います。

先日、理科の北沢先生に、中庭の水路のホタルを箱の中で飼育している様子をビデオでとっていただき、校内テレビ放送で見ていただきましたね。あのあとしばらくして、箱の中のホタルは死んでしまったのですよ。ホタルの命は短いですからね。ただ、死んでいく前に卵を沢山産み付けていくのですね。この箱の中には、このように苔石が置いてあって、その上にホタルさんたちを寝かせておいたのです。雌1に対して雄3匹くらいの割合です。はじめのうちは苔の上がなんだか光っているように見えたので、それが卵なのかなと思っていました。ですが、卵は夜など暗い所で光るって聞いていたのに、光っているようでもないし、卵らしきものも見えないので、もうふ化といって、卵からホタルの赤ちゃんがかえるのはだめになったかなと、なから諦めかけていたのです。でも「ひょっとしたら、見えないところで卵を産み付けているかもしれないので水だけは」と思って、毎日水を霧吹きみたいに吹きかけてはいたのですよ。そしたらね。このあいだの木曜日だったかな、この春にホタルの幼虫を沢山下さった羽田さんが学校に来て、タライの中の水をよーく見てね、ホタルの赤ちゃんを数え切れないくらい泳いでいるのを見つけてくれたのです。知らなければ見過ごしてしまうくらいとっても小さいんですよ。それをね、顕微鏡で40倍の大きさにしてみるとね、こんなふうになるんですよ。どうですか、見えますか。ちゃんと形がありますね。ただ私達の目にはそのように見えないだけのことなんですね。校長先生はね、今年もだめかって、最初あきらめてしまいそうになったんですけれどね、でも水だけはやっていてよかったなって思うんですよ。こんなに小さいんだけどね。みんなと同じ命をもっているんですね。みんなと同じ命がこの小さな体の中で動いているのです。すごいよね。この赤ちゃんが、水の中でどんどん大きくなって、来年の春には、今年放流したときのホタルの幼虫と同じくらいの大きさになるんです。そして、やがては土の上にはい上がってきて、やがて土に潜って、まゆみたいになって、こんどは羽がはえて出てきて飛ぶようになるんですね。校長先生が、この一学期に一番勉強したことは、何でも絶対に途中で放り出して諦めてはいけないっていうことです。ナデシコジャパンもそうだったね。最後まで放り出さず諦めなかったから勝てましたね。このホタルも諦めずに水をあげ続けて、乾いてひからびないようにしてきたから卵が赤ちゃんに返ったのだろうって思うんです。

みんなはどうだった? 四月にこうしよう、これを頑張るぞって決めたものがあったと思うけど、やってこれた? あきらめかけたり、投げ出しそうになっているものがあったら、今からでもいいんだよ。遅くはないんだよ。戻ってやり直してごらん。あきらめてしまったら何でもそこで終わりだものね。休み中、一学期をしっかり振り返り、不十分だったなと思うことがあったら、そこを頑張ってみるのもいいですね。よく学びよく遊んで楽しい夏休みにして下さいね。海やプールで水の事故にあわないように、また交通事故にも注意して、また休み明け元気に登校しましょう。 
 「自分からすすんで」心を感じて感謝の気持ちで、大切に!」 
平成23年6月6日
おはようございます。今朝の校長先生のお話も、スクリーンの写真から始まります。この写真は、何をやっているところでしょう? ゴミを拾ってくれている? そうですね。校舎内外の見回りをして、落ちているゴミを拾ってくれている美化委員さんですね。この写真のように毎朝ゴミを拾ってくれている美化委員さんの努力があるお陰で、きれいな学校に保たれているのですね。まじめにしっかりと見回りをしてくれているなあといつも校長先生は感心して見ています。常にゴミのない状態を続けることだって難しいことですよね。ありがたいことです。毎朝、美化委員のお友達が見回りをして、ゴミが落ちていれば拾ってくれているのですが、でもゴミを拾うということは、美化委員さんであろうと、なかろうと、だれでもできることではありませんか? だれでも、落ちているゴミに気づいたら、その場でゴミを拾えるともっといいなあと思いますよ。そして、「見回りをしていてもゴミが全然落ちていないんだよ」なんてことになれば最高ですね。ゴミは出さない、落とさない、捨てないのが一番ですが、落ちているゴミに気づいたら、そのままにしておくのではなく、さっとそのゴミを拾ってゴミ箱に入れておくんてす。ちょっと汚いと感じるなら、後で手を洗えば済むことです。そのようなことが何気なくできると格好いいですね。誰も見ていなくてもいいんです。回りで人が見ているかいないか、ほめてくれるかどうかには関係なく、ゴミに気づいたら進んで拾って片付ける、そのようなことが自然にできる人はすごい人だと思います。ゴミを拾った分だけ、その人は、心の中もどんどんきれいになっていくように感じるはずですよ。そして自分からすすんで何かをやる力もきっとついていくことでしょう。
 自分からすすんでよいことをやるというのはこの学校の目標の一つなのですが、これはゴミを拾うことだけのことを言っているのではありませんよ。
 あいさつの場合はどうでしょう。この写真は、朝の挨拶の様子です。代表委員の皆さんが一生懸命昇降口のところでやってくれていますね。先日も児童集会の時に挨拶の仕方で話がありました。校長先生も、挨拶のことでは、以前にもお話したことがありますが、みなさん、「おはようございます」「さようなら」お客様にお会いしたら、「こんにちわ」等の挨拶はきちんとできていますか?あいさつのことで、校長講話でお話したのは、二、三年前のことですから、忘れてしまった人も多いと思いますが、あいさつで心がけてほしいことの1番目。何だと思いますか?・・・キーワードを提示。 「明るく」 2番目は? 「いつも」3番目は? 「さっと、先に」 4番目は? 「続けて、つなげて」そうでしたね。覚えてくれていた人もいましたね。うれしいですね。朝などあいさつをするときには、今の4つのことを心がけて自分からすすんで、やってもらえるといいですね。「おはよう」「さようなら」の一言を友だちや先生と交わすことは、ごく単純な、それだけのことなんですが、今お話した4つのことを心がけてできることはそう簡単なことではないのです。でも、自分からすすんであいさつができることは、皆さんがこれから大きくなっていくにつれて、ますます必要で大切になっていくことなのです。大人になって働くようになって、挨拶もろくにできないような人では困りものです。校長先生が朝、横断歩道のところで挨拶をしていると、高校生も「おはようございます」と挨拶を返してくれます。うれしいですね。「おはようございます」には、今日一日がんばってね。だいじょうぶだよ。頑張るよ。等、いろいろな気持ちが込められていると思います。たった一言の「おはようございます」「さようなら」「こんにちわ」などの挨拶で、一人一人の心や気持ちを伝えあっていけるといいなあと願っています。すすんでゴミも拾える、すすんで挨拶もできる、そのような下氷鉋小学校の皆さんであってほしいです。
「心を感じて感謝の気持ちで、大切に!」  平成23年5月12日
これは何でしょう? 花壇ですね。どこの花壇ですか? プール脇の本校のメイン花壇ですね。毎朝、学校へ入ってくると、本校の美しい花壇が私達を迎えてくれます。思わず、「きれいだなあ」と叫んでしまいます。なんであのように美しいのでしょうか。咲いている花そのものも美しいのですが、あの花壇には、いろいろな人の心が働いて注がれているからだろうなと先生は思うのです。校長先生は、あの花壇を見ていると、育ててくださっている人々の思いや願い、心を感じます。どのような思いで肥料をあげて下さったのでしょうか。どのような思いで水をあげて下さったのでしょうか。どのょうな思いで花壇の草取りをしてくださったのでしょうか。あの美しい花壇になるまでには、様々な願い、思い、心が働いていると思いますよ。それを感じて、それに答えて花も咲いているのだろうと思うのです。だから、この花壇は校長先生にとっては、花壇をつくって下さっている人の心そのものなのです。「立派に咲いて、見る人の心を和ませてね」という、育てている人の優しい思いやりの心なのです。花を通して、その心にふれるので、一層の感動を覚えるのです。ありがとうと言いたくなりますね。

 さて、これは何でしょう。お水です。どこのお水でしょう。これは本校の井戸水です。井戸から池や中庭の水路を流れ、その中で川蜷や蛍の幼虫が育っています。最初から自然にわき出ていたお水ではありません。この地球を20メートもの深さを掘って、くみ出している井戸の水です。何とかして自然に近いきれいなお水をくみ出そうとした方々の心が働いているのです。こちらは水道の水です。のどが渇いたときに、飲めるように、おなかを壊すことなど心配せずに飲めるようにと、川からとった水を何度も何度もきれいに消毒処理をして、作られ、水道管を通してそれぞれのお家や学校に送り届けられているお水です。このお水にも、きれいな水をみなさんの所に届けようとする心、きれいでおいしい水を飲んだり使ったりしてねという心が働いているのですよ
 
 さーて、このように考えてみると、私達の身のまわりにある物には、すべて様々な人々の心が働いていることが分かります。
 
 もう皆さん知っているように、東日本大震災のあった、宮城県、福島県、岩手県などの東北地方では、たくさんの人々が被災して、命を奪われたり、行方不明になったり、避難先で不便な生活を強いられております。今、まだ電気が通らず、ローソクの火の下で明かりを取り、夜を過ごしている方がいます。電気がないとご飯も炊けませんね。テレビも見ることができません。困りますね。ずーと停電になって、電気がこなくなったら皆さんどうしますか。長野市に住んでいる皆さんのお家には電気が届けられておりますが、この電気も決して当たり前のものではないですね。
 被災地では水や電気も不足して不便で大変な生活をしている一方で、私達は毎日当たり前のように、お水、電気など様々なものを、それらをつくり出している人々の願いや心を感じたり考えたりすることなく、ごく当たり前のように使っているように思えてなりません。校長先生自身、今まで当たり前のように、お水や電気、ガスなどを使っていたように思い、反省しています。花壇のお花だけでなく、水や電気など、私達の生活を支えてくれている物には、それらを作り生み出している人々の願いや心が働いていることを、しっかり心に刻まないといけないと思うのです。そして、すべての物に込められている願いや心に対して、ありがとういう感謝の気持ちで答えたいものですね。その様な感謝の心をもつことができれば、水や電気などもっともっと大切に使えるようになるのではないでしょうか。皆さんは毎日給食室に食かん等を取りにきて、いただきますと言っておりますが、あの「いただきます」も私達の命を支えてくれる食べ物に対して言っているだけでなく、食べ物を作ってくださってすべての人に対して、いただきますと言っているのだと思いますよ。あれと同じような気持ちで、水や電気を使わせていただけるとうれしいですね。たくさんの人々が苦労して作り出しているものに感謝したり、節約しながら、大切に使っていけるとよいですね。そのような下氷鉋の子でいてほしいです。?