校章

写真この校章が作られたのは大正十三年の時です。その時の私たちの小学校は「下氷鉋尋常高等小学校」といっていました。その時の校長先生は、寺沢好太先生です。その頃、青木というまだ大変若い先生がこの校章を苦労して考えたのです。
このごろ、青木修一郎さんに逢って、この校章をつくった時のことをお聞きしたので、お話しましょう。この校章をみるとすぐわかるように、蛍が三匹います。外側の形は雪です。雪の結晶をあらわしています。
昔からいっしょうけんめいに勉強することを「蛍雪の功をつむ」といいます。昔々中国の国で夜まで勉強する人が、家が貧しいので、あかりがないから夏は蛍を集めてきて、その光で本を読んだといいます。
また冬は雪が降るので、その雪をとってきて窓のところへおいて、その雪の光で本を読んだといいます。
今、私たちの学校の六年生が卒業するときに皆で声をあわせて「蛍の光窓の雪・・・」と歌いますね。
このように蛍も雪も私たちの勉強する人には大事なものです。そこで校章にこの蛍と雪をあらわしたそうです。 この蛍の正しい形はひげが三本出ていて三角の形をしていたそうです。
その後ひげの代わりに「小」の字が入りました。これはきっと戦争が終わってから、小学校と中学校とできた時に「小」の字を入れたことと思います。
それから、三匹の蛍の形を字にすると、下氷鉋の「下」の字の形になるそうです。蛍の三匹をつなげると、一寸形はまがりますけど「下」という字になります。これで、だいたい校章のできたときのようすと、どういうわけかが、よくわかったことでしょう。
今、体育館の幕にも大きな校章が入っています。学校にある大きいお盆やプールにも、この蛍と雪の校章が入っています。
私たち下氷鉋小学校に勉強した人は、このよい校章を忘れないで、どんな苦しみにも負けない強い心をもって、はげんでゆきましょう。
蛍の光、窓の雪。この歌と共に、美しい校章のもとに仲良く手をとりあって勉強しましょう。
(以下略) 昭和三十四年六月児童会新聞「ひがの」より