学校の紹介
七二会地区は、長野市の西部、市街地より約15kmの国道19号線沿線の南面の起伏に富んだ傾斜地にあり、標高400~900mの所に、約800世帯、30余の集落が散在する農村地帯である。古くは、縄文時代の終わりころから人々がこの地に住み、中世は春日氏の統治下で、江戸時代には松代藩真田氏の領地となっていた。そして、丸栗(わぐり)の郷(岩草村、大安寺、笹平村)、布笠(きぬがさ)の郷(橋詰村、五十平、瀬脇村、黒沼村)の七ヶ村があり、その後、坪根村、古間村が合併して九ヶ村になった。明治2年、旧七ヶ村と分村した二ヶ村が合併して七二会村に改められた。
この地は、かつては養蚕地帯を中心に、酪農、雑穀作りが盛んであったが、都市化、工業化の進展する中で、兼業化、過疎化が進んでいった。人口の減少に伴い、児童数激減のため昭和39年に岩草分校が、49年には五十平分校が止む無く廃止となった。笹平分校は平成21年度から休校となる。
現在道路網の整備、住宅団地の造成、農業集落排水事業の推進、文化活動の興隆等、生活環境の整備、地域の活性化に努めている。過疎化の中にあって、地域の人々の学校に寄せる期待は大きく、子供たちは、恵まれた自然、豊かな風土の中で、素朴で明るく育ち、日々の学習に励んでいる。
七二会小学校のシンボル
校 章
終戦直後の新学制発足当時の地域産業の中心をなしていた養蚕の桑の葉を形どった上に、四方の山々を間にはさみ、中に七と二をあわせて、図案化し、七二会をあらわす。内外を広く見渡しつつ、故郷と七二会を大切にし、力いっぱいがんばって、たくましく育つようにとの願いがこめられている。(昭和22年制定)
校 歌