学校目標

「心豊かに たくましく生きぬく生徒」と「れんげ精神」

これからの時代は、少子高齢化、グローバル化、人工知能AI技術やコンピューターの進化などにより、先の予測が難しい時代になると言われています。
三陽中学校では、令和時代を心豊かに、たくましく生き抜いていくために、自ら問いを立て、方法を考え、仲間と協働し、自ら答えを見つけ出し、新たな価値を創り出していく生徒を育むことを目指します。

そして、自分を大切にすることは人をも大切にすることにつながることを学び、かけがえのない人生を正しく生きぬくことを生徒に意識づける学校教育を推進します。 校名の「三陽」の「三」は、三小学校の結集を表す三であると伝えられていますが、創設当時の先輩たちは、この三陽の「三」に教育的な意味を持たせ、「真」・「善」・「美」につながる三であり、「知」・「情」・「意」につながる三であるとし、また、「三陽」の「陽」は、光であり、希望であり、理想であるとして、三陽教育の根幹的な願いをここにかけて、誠意、研鑽努力を重ねてきました。  創設当時、学校周辺の広大な田園には、あの可憐な「れんげ草」が一面に咲き乱れておりました。三陽の先輩は、そのれんげ草に教育的な願いを託して、「れんげ精神」の高揚を奨励してきましたが、これが三陽の伝統になって、今日も脈々と流れてきております。
『踏まれても 踏まれるごとにさらに深く根をはり、
命のある限り生きぬいて 春再び来たりなば
あの可憐な花をつける やさしくうるわしく
しかも  強いれんげ草』
そのれんげ草の姿こそ三陽の象徴であり、「心豊かに たくましく生き抜く」学校目標と一体となり、伝統的な精神となってきています。そして、開校以来、質実剛健の気風と、いかなる逆境に遭遇しようとも、強靱にたくましく生き抜く力を培うことの校風と伝統を築き上げ、教育こそ第一義とする地域の教育風土と相まって、その成果を上げてきています。

グランドデザイン

グランドデザインはこちらから

校名の由来

昭和29年4月1日、旧長野市周辺の10か村(古里・長沼・柳原・若槻・朝陽・浅川・大豆島・小田切・芋井) が新しく市に編入し、その中に、旧学区の朝陽・大豆島がふくまれ、旧市の古牧とともに、三小学校を学区 として、あくる昭和30年4月1日、新設の統合中学校として発足した。  校名「三陽」は、所在地の地名には 関係なく「三」は古牧・朝陽・大豆島の三小学校区を象徴し、「陽」は、編入当時もっとも市の東になることを 表して「われわれは長野市の太陽のような子でありたい」といった願いをこめて命名されたものである。

校歌・校章

   校歌MIDIファイル

作詞家 勝 承夫(かつ よしお)

詩人。明治35年東京都生。東洋大学卒。旧報知新聞社会部学芸部副部長などを経て東洋大学理事長、 常任理事などを歴任した。なお、戦後は文部省教科書委員として新しい音楽教育に力を尽くしてきた。 作品は教科書にのるもの多く、校歌・市歌などの作詞も、また、すこぶる多い。 著書には、詩集に「航路」「白い馬」、随筆集に「若き日の夢」「文章の技術」などが多ある。

作曲家 平井康三郎(ひらい こうざぶろう)

 作曲家。本名保喜(やすき)、明治43年高知県生まれ。東京音楽学校卒。昭和22年まで同校作曲科教授。 第5回音楽コンクール1位入賞。文部省教科書委員、関東合唱連盟理事。NHK嘱託などを歴任する。 作品には交声曲「大いなるかな」「大仏開眼」など、歌曲に「平城山(なちやま)」「九十九里浜」 「ゆりかご」など、合唱曲に「ひばり」「合唱讃歌」など名作が多く、著書には「作曲指導」「合唱編曲ノート」 「平井康三郎名歌曲集」教則本「楽しいオルガン」などがある。
校章
三つの輪は、「三陽」の「三」と「日輪」を象徴し、 「星」は旧長野市(本校発足当時)のマークを示し たものである。