松本慶彦選手が北京オリンピック代表に選抜

 戸隠中学校でバレーボールをはじめた松本慶彦選手。ケガなどの苦難を乗り越えて男子バレーボール日本代表のセンタープレーヤーに定着することができました。そして植田JAPANのレギュラー・スターティングメンバーとして北京オリンピック最終予選を勝ち抜き、ついにオリンピック選手に選ばれました。

おめでとうございます!

 母校として在校生・職員一同、偉大な先輩を誇りにしているところです。

松本選手が母校を訪問してくれました!!

 7月24日(木)に、なんと松本慶彦選手が、この戸隠中学校に来ました。前日急に来るという連絡があり、残念ながら1、2年は登山学習に行っていて留守でしたが、3年生は会うことができました。当日校門前がパニックになるといけないので、極秘で来てもらいました。『フレーフレー松本』、三三七拍子、応援歌、校歌、等の声が音楽室に鳴り響き、戸隠中学3年生だけの盛大な壮行会が行われました。「・・・伝説を残してきてください。」という生徒代表・原山夕奈さんの言葉に、「選ばれたこれからが大変だと思います。応援していただいたみなさんの期待に応えるため、これから本番に備えて、最後の練習に入ります。北京に行って、いい成果が残せるように励みたいと思います。本日は応援、ありがとうございました。」という言葉で返してもらい、全員と握手していただきました。

戸隠中学校の松本選手コーナー

 額に入っている色紙は、松本選手が中学校時代にバレーボール部の顧問だった大川幸彦先生に、松本選手から贈られたサイン色紙です。大川先生の好意により、戸隠中学校で飾ることになりました。「私個人がもっているよりも、母校である戸隠中学校で飾ってもらい、在校生徒の励みにしてもらうとともに、学校へ来た人に見てもらいたい。」ということです。大川先生ありがとうございます。

 1階の廊下に、「松本慶彦長野後援会」の団扇とともに飾らせていただきました。

 サインにある「己に克つ」は戸隠中学校の学校目標でもあります。もし松本選手に聞く機会があれば、偶然なのか中学校の部活の時に背負って戦って以来ずっと胸に秘めていたのか確かめたいです。

「松本慶彦長野後援会」の横断幕

 旧戸隠村内に横断幕がでましたので、その写真をのせます。応援する意気込みが感じられます!

市民新聞の取材がありました。

 市民新聞で松本選手の特集を組むということで、中学生からの応援コメント を取材しに綿貫記者が来ました(7/8)。その取材の様子です。3年生の男子バレーボール部キャプテンと部長(生徒会長)が松本選手の活躍が励みになっていることやプレーの手本にしてきたことなどコメントしました。

北京オリンピック出場に寄せる応援コメントの概要

 「相手の高いブロックのさらに上からスパイクを決めて、優勝して欲しいです。」キャプテン(写真手前)

 「久しぶりのオリンピックなので、勝ちにこだわって欲しいです。」部長(写真奥)

 

 北京オリンピックで日本男子バレーは残念ながら決勝リーグへ行くことができませんでしたが、松本選手の活躍は随所に光りました。すべての試合に出場し、サーブやブロック、Aクイックなどで得点を稼ぎました。最終の対アメリカ戦でも1セット目にブロックを決め、そして、途中交代して3セット目に再び出てきてすぐ、目が覚めるような強烈なAクイックを相手コートにたたきつけました。世界の大舞台で、戸隠中学校の大先輩が、日本代表として誇れる素晴らしいプレーで観客を魅了しました。

 念願のメダルには手が届きませんでしたが、きっと私たちの目に見えない大変な努力やプレッシャーがあったのではないかと思います。松本選手、本当にご苦労様でした。そして、この戸隠中学に夢をありがとうと言いたいです。ゆっくり休養をした後、再び顔を見せに来てくれることを心から願いたいという気持ちです。

 松本選手の在校中の活躍がでている専門部活動の歴史はこちらへどうぞ。