雁の恩返しがんのおんがえし (小島)
 私のおばあさんの、そのまたおばあさんのもっと前のお話です。
 当時の小島は、家を全部合わせても40戸あるかないかのものでした。昔の柳原はどこも似たようすだったのですが、川が何本も小島に流れ込んでいました。
 小島の中には、水に関係した地名がたくさん残されています。この一帯は低くて平らなので沼や湿地などが多かったのです。
 夏は気温があがるので、プランクトンという小さな生き物がたくさん発生して、それをえさに魚たちがいっぱい育ちます。その魚や水草を食べて、かるがも・がん・くいな・よしきり、などの鳥のなかまがたくさん住んでいたのです。雁(がん)は、冬になると遠い北国から山を越えてこの小にやってきていたのです。がんは、今から40年ほど前の昭和30年ころまでは、小島でもとんでいる姿を見ることができました。
 その昔、小島の村はずれに吾作さんというお百姓さんがいました。ある冬のことです。吾作さんは、朝からわら仕事をしていました。そのころのお百姓さんは、冬の仕事といえばわら仕事というくらいわらでいろいろな道具を作っていたのです。家の床にしくジュウタンになる『ねこ』、雨や雪がふったときに着る『みの』や『かさ』、大切なお米を入れる『たわら』や『かます』など、どれもわらが無ければ作れないのです。だから、お百姓さんたちは、朝から晩まで一日中わら仕事をしたものです。仕事をしていた吾作さんですが、家にあるわらが終わりかけたので、田んぼにわらを取りに出かけました。
 田んぼに着くと、そこにいた数十羽のがんがいっせいに舞い上がりました。
 「キャク、キャク。」と鳴いて、北の飯縄山の方へ飛び去りました。その時です。一羽のがんが、右のつばさにけがをしているのか、バタバタしますが飛べないでいます。吾作さんは大喜びでそのがんをつかまえました。「夜は、がんと大根とねぎを使ったなべができるぞ。何年ぶりかのごちそうだぞ。」わらをはこぶのをやめて、大きながんをかかえて歩き始めました。すると、このがんの家族でしょうか、せつなそうな声で鳴いて、吾作さんのまわりを飛び回って離れようとしません。
 「この一羽もつかまえると、もっとごちそうがふえるぞ。」と、吾作さんは思いました。しかし、あんまり真剣に鳴いてそばを離れようとしないがんを見ているうちに、「そうか。家族をつかまえられることが死ぬほど悲しいんだな。このおれだって、自分の女房と離れ離れになったら、どんなに悲しいことか。」と思うようになりました。
 そこで、吾作さんは羽根をいためたがんを家に連れて帰りました。そして、やさしく手当をしてやり、えさや水をやって大事にしました。また、もう一羽のがんの見える所に置いてやり、犬やねこにやられないように囲いをしてやりました。それを見たもう一羽のがんは、安心したように家のまわりの空を飛び回っていました。
 十日もすぎると、けがをしたがんはすっかり元気になりました。つばさも治って、羽ばたきもできるようになったので、田んぼの真ん中に連れ出しました。もう一羽のがんはうれしそうな声で鳴き、低く空を舞っています。
 「そらっ、元気で飛んでいけよ。」吾作さんは治ったがんをそらに放してやりました。がんは、最初はうまく舞えませんでしたが、しばらくするとうまく飛べるようになり、もう一羽のがんの方へ近づいていきました。二羽はいっしょになると、喜びの声をあげながら吾作さんの上を飛び回ってから、東の高社山(こうしゃさん)の方へ去っていきました。吾作さんは、良いことをしたような少しさみしいような気持になりました。
 次の年です。またがんの渡ってくる季節になりました。去年と同じように、吾作さんは小島の田んぼにわらを取りに行きました。すると、パタパタと二羽のがんが吾作さんめがけて飛んできました。「キャク、キャク。」と鳴きながら吾作さんの頭の上から、黒い粒を二つ落としていきました。
 吾作さんがそれを拾ってみると、蓮(れんこん)の実でした。吾作さんは、それを自分の田んぼにまいてみました。するとどうでしょう。すくすくと蓮は育ち、大きくて味の良いれんこんがとれました。吾作さんは、小島のまわりの家にもわけてやりました。蓮は、どの家でもどんどん増えて、小島の人たちの生活を楽にしてくれました。
 それからというもの、小島の人たちはれんこんを食べるときにはいつも『雁の恩返し』の話をしました。
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