一里塚の大入道いちりづかのおおにゅうどう  (村山)
 昔、昔といっても私のおばあさんのおばあさん、そのまたおばあさんのころのお話です。
 村山に一里塚がありました。今でも、その跡がのこっていますね。一里塚というのは、昔の大きな街道(今の国道のような道)に、江戸から一里(約4キロメートル)ごとに木を植えたり土を小山のように盛り上げて(塚といいます)目印を作りました。旅人がどれくらい歩いたか見当がつくようにしたり、木陰で休めるようにしたのです。
 ところで、村山の一里塚には、ポン太というタヌキが住んでいました。一里塚のまわりには林ややぶが多くてかくれるのに便利だし、旅人が捨てたりした食べ物もあります。もし食べ物に困れば、畑に行ってそっと野菜をぬすんだり、小鳥やカエル・ネズミなどをつかまえることもできるのです。大水さえでなければ、タヌキが住むには申し分のないところです。
 そのころは、村山には若者がたくさんのこっていました。今のように勤めるところが多くありません。自動車で遠くまで通うこともできませんので、家にいて田畑の仕事をしたり冬はわら仕事をしたりしていました。いまよりずっとのんびりした生活だったのです。
 若者達は、となり村の若者とよくけんかをしました。それが若者たちの楽しみであり、自分たちの団結を強める方法だったのです。となり村の若者が村内を通りかかると、決まってけんかを売りました。売られた方は、村へ引き返し仲間を連れてきて、大勢でけんかをするのです。ただし、危ないことやけがをするようなことはしません。刃物を使うようなものがいると、相手側では、
「あんなことは困る。刃物を使うものは、仲間からぬかしてくれ。そうでないと、もうけんかはしない。」と文句を言うくらいで、危ないことをするようなものはありませんでした。
 村山の若者とその村のはでに石を投げたり悪口を言い合ったりすると、すぐポン太にわかりました。
「ああ、また今日もやっているな。どりゃどりゃ、のぞいてみるか。」
「あれ、村山の方が形勢が悪いな。こりゃ地元の村山の方を応援してやろうかいな。」お得意のはらづつみをポンポコ、ポンポコならします。そうすると、村山の若者は不思議に元気が出て、必ずけんかに勝ってしまうのです。
 そんなわけで、村山の人ともポン太は仲良くやってきて、五年十年とたちました。そのうち、ポン太はばけかたがうまくなるなど、魔法の力がだんだんと付いてきました。
 ある秋の夕方のことです。となり村の九郎兵衛という狩人が、鉄砲をかついで通りかかりました。その背中には、大きい鴨(かも)がぶらさがっていました。九郎兵衛は得意そうな顔をして歩いていきます。ポン太はその大鴨を見て、とってもほしくなりました。 「せめてあの中の一羽だけでも手に入れることができたらなあ。」と思いました。また、自分の人をばかにする術も試してみたくなったのです。
 歩いている九郎兵衛のまわりが急に暗くなりました。そして、目の前に一つ目の大入道があらわれました。ポン太がばけたのです。大入道は九郎兵衛をぐっとにらむと、「九郎兵衛、九郎兵衛、その鴨をおいていけ。」とゲラゲラ笑いながら言いました。おどいた九郎兵衛ですが、すぐに鉄砲に玉をこめました。そして、大入道の目をめがけて「ズドーン。」とうちました。九郎兵衛は鉄砲の名人ですから、絶対に命中したと思ったのに、当たっていません。玉はそばの石に当たり、ピーンとはねました。
「九郎兵衛、九郎兵衛。」と、大入道は平気な顔でゲラゲラ笑いながら声をかけてきます。九郎兵えは、あわてて玉をこめ、しっかりとねらいをさだめてうちましたが、やっぱり命中しません。何回くり返しても同じことで、大入道はびくともしません。
 とうとうのこったのは銀の玉一つです。この玉は最後の最後に使う玉で、これを使った狩人は、これから一生狩りができないきまりになっているのです。つめたく光る銀の玉を見つめているうちに、九郎兵衛はハッと気がつきました。こういうタヌキにばかされているとき、相手は前にいるように見えて、実際は後ろにいるのではないかと考えたのです。
 九郎兵衛は、最後の銀の玉をこめた鉄砲をかまえたまま、急に後ろをふり向くと、そこに大きなタヌキの姿がありました。ねらいを定めて「ズドーン」とうつと、「ギャアー」と大きな声がして、タヌキがバッタリたおれました。それとともに、今までの暗かったまわりが急に明るくなりました。
 タヌキにちかよった九郎兵衛は、それが見たことのあるあのポン太だとわかると、「ああ、かわいそうなことをした。おまえだとわかっていたら、決して打たなかったのに。」と、そっと手を合わせながら言いました。
 九郎兵衛は近くに穴を掘り、ポン太のほしかった大鴨といっしょにうめてやりました。
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