宮澤 甚三郎(みやざわ・じんさぶろう)
教育者(きょういくしゃ)

 小島に生まれた甚三郎さんは、小さな時から学問が好きでした。柳原小学校のもとになる逞義学校を卒業してから、自分の母校の子どもたちを教えながら、さらに勉強して学校の先生の免許をとりました。
 今度は東京に出て勉強し、高校の先生の免許をとり、山口県・秋田県・鳥取県など日本各地の学校の校長先生として活躍しました。学校の先生をやめてからは、柳原に帰りお百姓をやったのですが、村の人をおどろかすような行いが多く、いろいろおもしろい話が残っているようです。
 そんな甚三郎さんも、昭和八年(一九三三年)六十六才で亡くなりました。
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