深澤 喜曾八(ふかざわ・きそはち)
教育者(きょういくしゃ)

 村山に生まれ、お百姓をしていた喜曾八さんは、江戸に出て仕事をしながら書道などの勉強に励みました。村山に帰り、自宅の物置を教室に、明治六年柳原小学校のもとになる学校が開校するまで、近所の子どもたち百人ほどを教えました。
 喜曾八先生は、昼寝の時間に弟子たちが近くの千曲川で水泳をするのをやめさせるため、その足の裏に墨で印をしたというエピソードが残されています。現在家は残っていませんが、教え子が建てた筆塚が当時をしのばせるように立っています。
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