寺田 久連松(てらだ・くれまつ)
学者(がくしゃ))

寺田 六三郎(てらだ・ろくさぶろう)
政治家(せいじか)

 江戸時代の後半、天保六年(一八三五年)に中俣で生まれ、今の村長さんである柳原村戸長などをつとめながら、日本の一番古い和歌集である万葉集の研究を進めました。そのなかで、万葉集巻十四にある「中麻奈に浮きおる舟のこぎでばな 逢うこと難し今日にしあらずば」という和歌の『中麻奈』は中俣のことだとする、荒木田久老という学者の考えを知りました。
 久連松さんは、中俣の名前の由来とされる和歌を後の人たちに伝えようと、中俣城跡の隣にあった勝善寺の跡に石碑を建てることを計画しました。自分で和歌の文字を書き、それを石に刻んで建てたもので、今でもりっぱな歌碑として残っています。その他、村の人たちが神武天皇のお墓を拝もうとした時、そのための建物を建てようと提案しました。その建物は長い間地区の公民館として利用されてきました。
 このように中俣のことを考え続けた久連松さんですが、明治四十三年(一九一〇年)七十六才で惜しまれつつ亡くなりました。
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