井上 明空(いのうえ・みょうくう)
僧侶(そうりょ)
柳原歩道橋の南西のところに、城跡があります。この中俣城の城主井上頼綱の子どもとして、明空さんは生まれました。西念さんと同じ今から約八百年前のことです。十二才の時に、お坊さんになるために京都の比叡山に修行に行きました。七年間の修行の後、古里の中俣に帰り、中俣のお城近くに勝善寺というお寺を建てました。
明空さんは、その後親鸞上人の教えていただきに千葉県まで出かけるなど、仏教を広める努力を続けました。そのために、その後お寺は大いに栄え、長野県と新潟県で勝善寺の檀家が五千軒以上、勝善寺の末寺が五十二寺もできたのです。また、大阪の石山本願寺が織田信長と戦った時、本願寺を応援したりしました。
八十三才で明空さんは亡くなり、中俣城の衰えとともに勝善寺も場所を移し、現在は須坂市にあります。お寺の跡は、わずかにお稲荷さんが面影だけを残すだけとなっています。