中野 庄吉(なかの・しょうきち)
政治家(せいじか)

 布野のお百姓さんの家の末っ子として生まれた庄吉さんは、農業をしながらも郷土の発展のことを考え人々にうったえ続けていました。村の事は村の人自身で解決する必要をうったえながら、身近な道路の改修や治水などの公共事業で村を良くしていくことを先頭になって行いました。
 特に、長野市の中心部七瀬と綿内を結ぶ道路の建設にあたっては、自分を犠牲にしながら開通に向けて努力し、その道路は『庄吉道路』の別名を持つほどになったそうです。
 明治三十六年の県会議員選挙では、地域の人々に推薦されて立候補し、みごと当選しました。黙々と自分に与えられた仕事を果たす庄吉さんでしたが、大正八年(一九一九年)に病気で五十八才の生涯を閉じました
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