榎本 通庵(えのもと・つうあん)
学者・教育者(がくしゃ・きょういくしゃ)

 小島の医者の家に生まれた通庵は、若いころから江戸でいろいろな勉強に励みました。最初に学んだ漢学という学問をはじめ、書道や俳句・漢詩などを次々と勉強しました。
 江戸から郷里の小島に帰った通庵さんは、医者の仕事を受け継ぎながら、自宅に学問所をつくって、合わせて百人余りの人たちを教えました。また、当時の有名な学者であった、佐久間象山や山寺常山先生などとも親交があったということです。
 明治十七年(一八八四年)六十九才で亡くなりましたが、教えを受けた弟子の人たちの、通庵先生を慕う気持ちはずっと伝えられました。そして、亡くなってから十三年後の明治二十九年に、その人たちの手で頌徳碑が屋敷内に建てられました。
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