清水 与作(しみず・よさく)
彫刻家(ちょうこくか)

清水 善吉(しみず・ぜんきち)
彫刻家(ちょうこくか)

 小島の清水家は、代々お寺や神社の建物の彫刻を仕事としてきていました。江戸時代の中ごろ、その家に生まれた与作は、京都にまで行って彫刻の修行に励みました。ところが、その腕があまりに良かったため、同じ仕事をする人たちにねたまれ、京都にいることができなくなって小島にもどりました。
 名人とよばれるほど、すばらしい技術を持っており、近くの神社やお寺の彫刻はもちろん、遠く新潟県まで呼ばれていってみごとな彫刻の作品を残しています。地元小島には、盆踊りの舞台と釈迦涅槃(お釈迦様が亡くなるときの姿)の絵などが残されています。天保八年(一八三七年)に亡くなりました。
 その与作さんの家に、松本の大工さんの所から養子に来たのが、善吉さんです。この人も、建物の彫刻にすばらしい腕を持っていて、明治時代になって外国から入ってきた西洋風の彫刻を取り入れ、新しい彫刻のスタイルをつくり出していきました。
 高山村にある子安神社は、善吉さんが三年以上もかけて創り上げた建物で、現在もそのすばらしさをながめることができます。明治四十一年(一九〇八年)七十七才で亡くなりました。
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