山口 雄斉(やまぐち・ゆうさい)
画家(がか)

山口 雄山(やまぐち・ゆうざん)
画家(がか)

 今から二百年ほど前の江戸時代の後半、小島にあった着物を染める紺屋の家に生まれ、本名は善右エ門といいました。十二・三才ころから絵を描いていたのですが、飯山の甚平という先生に南画という絵を教わり、雄斉と名乗って本格的な画家になっていきました。
 日本海に面した新潟県・富山県・石川県をはじめ、日本全国を移り歩きながら、一生絵の研究を続けました。雄斉さんは長生きで、明治五年(一八七二年)八十五才まで生きて活躍しました。
 その雄斉さんの孫に善三郎さんという人がいます。家の紺屋をやめて、お百姓になりましたが、画家でもあります。児玉果亭という先生に絵を学びましたが、信州の有名な画家の一人である高井高山(鴻山とも書く)とも親しくつきあい、しばしば狩りなどをいっしょに楽しんだようです。
 屋敷の中に茶室をつくってお茶会を催したり、山にツツジの木を植えてその花をながめたりと、いろいろな趣味を楽しんだ人です。昭和五年(一九三〇年)に八十四才で亡くなりました。
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