小坂 善之助(こさか・ぜんのすけ)
政治家(せいじか)・実業家(じつぎょうか)
村山に嘉永六年(一八五三年)に生まれた善之助さんは、明治十四年に二十八才で県会議員に当選するなど、若いときからいろいろな役職について活躍しました。さらに、明治二十三年(一八九0年)日本で国会が開かれると同時に、国会議員(衆議院議員)に当選しました。道路を改良したり橋をかけたりと、公共の仕事を進めるのに力をつくし、日本の初代総理大臣伊藤博文をはじめ多くの政治家とも親交がありました。
その一方、信濃銀行や長野電気鉄道をつくり、頭取や会長として中心になって働いたり、信濃毎日新聞の会長に選ばれるなど、実業家としても成功をおさめました。その功績が高く評価されて、表彰されることも数多くありました。大正二年(一九一三年)六十二才で亡くなりました。
善之助さんには九人の子どもがありましたが、長男の順造さんは電源開発局総裁、三男武雄さんは信濃毎日新聞社社長など、それぞれの道で活躍しています。