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その昔 一茶も渡りし 布野の渡し
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現在は須坂市と柳原の間に村山橋がかけられています。江戸時代には布野の渡しが設けられていました。今の村山橋より少し上流の布野と対岸の須坂市福島の間に綱を張り、綱をたよりに舟を行き来させていました。
そのころ、新潟から牟礼、長沼を通り、布野の渡しを通って福島、川田、松代につながる道は「北国脇街道」と呼ばれ、昔から交通の要所として多くの旅人が通っていました。
江戸時代後期、柏原に生まれた俳人「小林一茶」も十五才で初めて江戸へ出て以来、六十五才で亡くなるまで生涯に何度も柏原と江戸を往復しました。一茶もこの渡し舟に乗ったのでしょうね。