国道十八号は、いつも車の流れがとぎれることなく大変な交通量ですね。朝は、必ずと言ってよいほど柳原北の交差点のあたりは渋滞しています。長野方面へ向かう車が、豊野方面側からと須坂方面側からと来るせいでしょうか。
昔(明治時代の終り頃)から須坂の製糸業者が吉田の町へ行くのに村山を経由して行ったそうです。そして、この道を須坂街道と呼び、小島の道沿いには、桜並木ができたそうです。須坂からは、米子鉱山の硫黄を、吉田からは、須坂の製糸工場で使う石炭を輸送し、柳原あたりは、行き来する人や荷物でにぎわっていたのです。
そして、大正九年に長野の方から長野〜平林〜東和田〜北尾張部〜北長池〜柳原〜村山と通じる道(平林街道須坂線)を敷いてきました。大正十五年には、村山橋も開通し、須坂〜長野の交通は、ますますさかんになったわけですね。
※平成十一年十月七日の柳原の一日の車両交通量三万六千七百四台(一分間に二十五台)